kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・三条柳馬場通り 「この付近 坂本龍馬 妻 お龍の実家 楢崎家跡」

2019年08月14日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
歴史クラブに参加して「京町家 村西家」を出てから
お昼を頂く三条柳馬場通りの「馳走 いなせや」に向かっていると


右手に「お龍庵」と書かれたお店が・・・


店先の石碑には「この付近 坂本龍馬妻 お龍の実家 楢崎家跡」

この石碑はお店の方が・・・と思いましたが
石碑の壁面に書かれた説明によると

 所在地 中京区柳馬場通三条下る東側
 建立年 2008年
 建立者 NPO法人京都龍馬会

柳馬場三条下ルのこの付は、のちの坂本龍馬の妻お龍の実家跡です。
お龍は、青蓮院宮に仕える内・外科医,楢崎将作の長女です。

天保12年 (1841)に富小路六角付近で誕生し
しばらくしてこの地に移り住んだと思われます。

お龍には、父母のほか弟妹が4人もおりましたが
家事を任されることもなく、 華道、香道、茶道などの
おけいこごとに専念できたようです。

父在世中は、良家のお嬢様として裕福に暮らしていたといえます。
文久2年(1862)6月20日、父楢崎将作がなくなると一家の生活は一変します。

長男太一郎はまだ幼少で、亡父に代わって家族をやしなうことができず
とうとう一家はばらばらになります。

お龍とは別行動をとった母貞と末妹の君江は、洛東大仏方広寺南門(現)
三十三間堂南大門前の、河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する
土佐亡命志士の賄いのため、住み込みで働きます。

ここに龍馬が住んでいたのです。
これが龍馬とお龍の出会うきっかけとなります。

龍馬が愛したお龍の人格が形成された場所
それは父の死まで一家団欒をすごしたこの地であったにちがいありません。
以上の理由から,当地を龍馬に関する重要史跡とし石碑を建立するものです。
歴史地理研究者 中村武生

2008年設立の新しい石碑の説明は、以上のような内容だったと思います。
気が付かないで通り過ぎるところでした。(^^ゞ
コメント
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