京都・桂離宮 参観 ②「天の橋立・松琴亭」のつづきです・・・
「にじり口」のある松琴亭を出て、茶屋風の賞花亭に向かいます。
「にじり口」のある松琴亭を出て、茶屋風の賞花亭に向かいます。
蛍 橋
賞花亭へ向かう「蛍橋」を渡っています。
水蛍燈籠
蛍橋を渡り飛石伝いに斜面を登ってゆくと
途中に「水蛍燈籠」があります。
水蛍燈籠は
源氏物語に出てくる大堰川畔の明石の上の庭に、木立の奥からかがり火の影がちらちらとして、遣水の蛍にも似通う面白さを述べているのを、石灯籠を以って意図したもので命名は第七代家仁親王と言われています。
賞花亭前の手水鉢
小高い場所に位置する「賞花亭」の手水鉢から、左下に書院が見えます。
鉄鉢形の手水鉢は、五輪塔の水輪を転用したものです。
賞花亭(しょうかてい)
松琴亭と同じようにほぼ北に向かい、消夏のための小亭で南側の竹の連子窓
(れんじまど)を通してみる景色は深山幽邃(しんざんゆうすい)の趣きで
土間を真中にして、コ字形に畳四枚を腰掛けにして、篭と炉がありました。
正面と右側面の前寄一間を吹き放ちにした開放的なつくりで
建物の軒先には、龍田屋の暖簾が掛かっていたそうなので
眼下に書院群、遠くに愛宕山を望んだ峠の茶屋風の風情です。
この写真は、一緒に参観した友人から提供して貰った
現在の「賞花亭」の全景です。
そして、この写真は以前の「賞花亭」の全景です。
以前の壁の色はもうありませんでした。
この亭は今出川本邸にあった龍田屋を、智忠親王の時に移されました。
==========園林堂(おんりんどう)へ ==========
園林堂に向かう道で、橋の先に書院が見える橋がありました。
でも、その橋は進入禁止なので横目にして・・・
池沿いに歩いていくと「園林堂」がありました。
園林堂
園林堂は賞花亭の山裾に西面に建つ、本瓦葺宝形造り屋根の持仏です。
正面に唐破風の向拝を有した観音開きで、智忠親王の代に造営されました。
初代智忠親王の尊影と、その師 細川幽斎の尊像が納められていましたが
いまは安置されているものはなく、後水尾上皇宸筆の「園林堂」の扁額と
建物だけが残っています。
京都・桂離宮 参観 ④ 舟溜まり場のある「笑意軒・書院」へ続きます。
賞花亭へ向かう「蛍橋」を渡っています。
水蛍燈籠
蛍橋を渡り飛石伝いに斜面を登ってゆくと
途中に「水蛍燈籠」があります。
水蛍燈籠は
源氏物語に出てくる大堰川畔の明石の上の庭に、木立の奥からかがり火の影がちらちらとして、遣水の蛍にも似通う面白さを述べているのを、石灯籠を以って意図したもので命名は第七代家仁親王と言われています。
賞花亭前の手水鉢
小高い場所に位置する「賞花亭」の手水鉢から、左下に書院が見えます。
鉄鉢形の手水鉢は、五輪塔の水輪を転用したものです。
賞花亭(しょうかてい)
松琴亭と同じようにほぼ北に向かい、消夏のための小亭で南側の竹の連子窓
(れんじまど)を通してみる景色は深山幽邃(しんざんゆうすい)の趣きで
土間を真中にして、コ字形に畳四枚を腰掛けにして、篭と炉がありました。
正面と右側面の前寄一間を吹き放ちにした開放的なつくりで
建物の軒先には、龍田屋の暖簾が掛かっていたそうなので
眼下に書院群、遠くに愛宕山を望んだ峠の茶屋風の風情です。
この写真は、一緒に参観した友人から提供して貰った
現在の「賞花亭」の全景です。
そして、この写真は以前の「賞花亭」の全景です。
以前の壁の色はもうありませんでした。
この亭は今出川本邸にあった龍田屋を、智忠親王の時に移されました。
==========園林堂(おんりんどう)へ ==========
園林堂に向かう道で、橋の先に書院が見える橋がありました。
でも、その橋は進入禁止なので横目にして・・・
池沿いに歩いていくと「園林堂」がありました。
園林堂
園林堂は賞花亭の山裾に西面に建つ、本瓦葺宝形造り屋根の持仏です。
正面に唐破風の向拝を有した観音開きで、智忠親王の代に造営されました。
初代智忠親王の尊影と、その師 細川幽斎の尊像が納められていましたが
いまは安置されているものはなく、後水尾上皇宸筆の「園林堂」の扁額と
建物だけが残っています。
京都・桂離宮 参観 ④ 舟溜まり場のある「笑意軒・書院」へ続きます。