2010年12月に投稿した記事にアクセス数が多かったので見てみると
それは、いばらき観光ウォーク「隠れキリシタンの里コース」に参加した時に
見た貴重なものでしたので再々投稿します。(2010年12月19日 日曜日 )
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隠れキリシタンの里は、1549年(天文18)に宣教師フランシスコ・ザビエル
によって、日本にキリスト教が伝えられました。
キリスト教は織田信長には庇護されていたのですが、豊臣秀吉や徳川家康は
キリスト教が当時の封建制に会わないので、禁教を次第に厳しくしました。
島原の乱の後ついに鎖国となり、キリシタンたちは迫害され棄教を迫られました。禁教は1873年(明治6) まで続き、キリスト教は人里離れた山地などで秘密裏に信仰されることになった、これを 「隠れキリシタン」 といわれています。
右:「逗子入象牙彫 (ずしいりぞうげぼり) キリスト磔刑像(だっけいぞう)」
左:「ロザリオと十字架」
これは茨木市の山間部にある「隠れキリシタンの里」の一つで、下音羽 (しもおとわ) 地区の、大神家で見せて頂いた普段は見ることができない貴重なものです。
キリスト像の、喉元や手首と足首に血痕の跡が・・・
※ 大神家の家の前に、茨木市教育委員会から下記の説明版がありました。
逗子は黒漆塗りのもの (高さ38.6cm 間口18.2cm 奥行外側7cm
内側6cm) で、観音開きにした扉は銀の金具でとりつけてある逸品である。
逗子には 「ユダヤの王ナザレのゼヌス」 略字 INRI の四文字を刻んだ板のついた黒檀の十字架に象牙彫キリスト像(総長13.3cm)をはりつけた物が納めてある。
十字架のとりつけてある台はコルゴダ山を思わせる半円形の黒檀製のものでした。キリスト像は、喉元や手首、足首に血痕があらわされており写実的な優秀な作品である。大正11年、大神家の納屋から発見され、昭和8年10月31日に 「重要美術品等保存ニ関スル法律」 により認定を受けており、大阪府下でも類品のない貴重なものである。
これが、茨木市教育委員会の説明版に書かれていた 「銅版画」 です。
この時は、観光協会主催の観光ウォークということもあって
大神家のご好意で、特別に目の前で拝見させて頂くことが出来ましたが
いまは観光協会主催でも、見ることができなくなっているそうです。
それは、いばらき観光ウォーク「隠れキリシタンの里コース」に参加した時に
見た貴重なものでしたので再々投稿します。(2010年12月19日 日曜日 )
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隠れキリシタンの里は、1549年(天文18)に宣教師フランシスコ・ザビエル
によって、日本にキリスト教が伝えられました。
キリスト教は織田信長には庇護されていたのですが、豊臣秀吉や徳川家康は
キリスト教が当時の封建制に会わないので、禁教を次第に厳しくしました。
島原の乱の後ついに鎖国となり、キリシタンたちは迫害され棄教を迫られました。禁教は1873年(明治6) まで続き、キリスト教は人里離れた山地などで秘密裏に信仰されることになった、これを 「隠れキリシタン」 といわれています。
右:「逗子入象牙彫 (ずしいりぞうげぼり) キリスト磔刑像(だっけいぞう)」
左:「ロザリオと十字架」
これは茨木市の山間部にある「隠れキリシタンの里」の一つで、下音羽 (しもおとわ) 地区の、大神家で見せて頂いた普段は見ることができない貴重なものです。
キリスト像の、喉元や手首と足首に血痕の跡が・・・
※ 大神家の家の前に、茨木市教育委員会から下記の説明版がありました。
逗子は黒漆塗りのもの (高さ38.6cm 間口18.2cm 奥行外側7cm
内側6cm) で、観音開きにした扉は銀の金具でとりつけてある逸品である。
逗子には 「ユダヤの王ナザレのゼヌス」 略字 INRI の四文字を刻んだ板のついた黒檀の十字架に象牙彫キリスト像(総長13.3cm)をはりつけた物が納めてある。
十字架のとりつけてある台はコルゴダ山を思わせる半円形の黒檀製のものでした。キリスト像は、喉元や手首、足首に血痕があらわされており写実的な優秀な作品である。大正11年、大神家の納屋から発見され、昭和8年10月31日に 「重要美術品等保存ニ関スル法律」 により認定を受けており、大阪府下でも類品のない貴重なものである。
これが、茨木市教育委員会の説明版に書かれていた 「銅版画」 です。
この時は、観光協会主催の観光ウォークということもあって
大神家のご好意で、特別に目の前で拝見させて頂くことが出来ましたが
いまは観光協会主催でも、見ることができなくなっているそうです。
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