喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

行ってよかった日本の城に愛媛からランクイン

2014-07-27 | ブログ
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 結果は、1位が熊本城。
そして何と第2位が松山城。

 江戸時代までに建てられた天守閣が現存する城は日本全国で12あるが、松山城もその一つ。
現存する天守閣は1854年に建てられているので、築150年。
松山城は132mの小高い山の頂上にあるが、ロープウェイやリフトに乗れば、アクセスは楽。
城からは、見おろす松山市内の景色も最高。

 ところがこの松山城には過去に大きな危機があった。
 明治政府による廃城令で、全国で廃城が相次ぎ、松山でも「松山城を破棄すべ」との意見を唱える者が多くなっていた。
それを伊佐庭如矢(いさにわゆきや)という人物が、有識者や関係者に共感を求め、時の県参事にもかけ会い、廃城(破棄)を免れることができた。
その後、地元金融界の実力者に働きかけ、1873(明治6)年に公園化の許可が下りたという。
 ちなみにこの伊佐庭如矢は、今から120年前に前代未聞の道後温泉本館を建築するために尽力した道後湯之町の初代町長。

 11位が、宇和島城。
わが故郷佐田岬は、江戸時代に宇和島藩領内。
 天守などの建築は伊達氏によるものであるが、縄張そのものは築城の名手といわれた藤堂高虎の創建した当時の形が活用されたと見られている。
 慶長19年(1614年)12月28日、伊達秀宗が2代将軍徳川秀忠より伊予宇和島藩10万石を与えられ、
慶長20年(1615年)3月18日に板島丸串城(宇和島城)に入城したことから、宇和島藩が正式に成立した。
秀宗は戦国の世に「独眼龍」と称された仙台藩主伊達政宗の側室から生まれた子。

 20位は、今治城。
築城したのは、宇和島城と同じく築城の名手藤堂高虎。
高虎の築城は石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、
同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する熊本城主の加藤清正と対比される。

 意外や意外。
愛媛は、名城の宝庫でもある。

                   岬人(はなんちゅう)