喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

帰省した息子と夜遅くまで語り合う

2016-05-05 | 家族
 4月30日に帰省した息子が今朝出発。
帰省したといっても家を出てまだ1カ月しか経っていない。
 田舎で育った息子にとって松山とはいえ、家を出て暮らすことはどんなものなんだろう。

 うわさでは髪を染めているとのこと。
前々日の夜に電話し、穏やかな口調で伝えた。
「髪をきちんとして帰れよ。」
「うん。」
 まだまだ言われたことを素直に受け入れる気持ちはあるようだ。
 
 帰ってきた夜、すぐさま
「お父さん、飲もうや。」
「お前はまだいけんやろ。」
 1か月前までこんな社交的なことを言うような子ではなかった。
 この夜は、学校のこと、寮生活のこと、友だちのこと、社会のこと、30年前の私の巣立ちのことなど
いろいろなことを夜遅くまで語り合った。
 最低限なことだけを話していた1か月前とは大違い。

 娘たちもそんなことを感じていて、
「兄ちゃん、おだやかになったなー」
とのこと。


 一昨日の夜も、いろいろなことを語り合った。 
 
 食卓に並んだのは、北海道の知り合いの宮嶋さんから送ってもらった新得共働学舎のラクレットチーズ。
知り合いの稲見さんからいただいた貴重なフランスのMIRAVAL(ミラバル)ワイン。
そしてこれまた知り合いからいただいていたゴディバのチョコ。
 贅沢な一品ばかり。




 その品々を息子に説明してあげながら、ありがたくいただいた。
息子も「うまっ。」の声を連発。



 これらのものは、農業をめざし勉強している息子にとっては、大いに刺激となったことだろう。

 
 わずか1か月のことだが、息子の変化を感じている。
自立のため、巣立つことの大切さ。

 多くの人との交わり、そして数々の経験。
それら全てが成長の源となっているようだ。
 どんどん吸収して帰って来て、ふるさとを盛り上げていくことを期待している。

「次はいつ帰れるん?」
と聞くと、
「6月の2週間の北海道農業研修が終わってからかな。」
と答えが返ってきた。

「そうか。まためずらしい土産話を楽しみにしちょるけんな。」

 若者には夢がある。



        岬人(はなんちゅう)

 

 

 


佐田岬はなはな花火大会

2016-05-05 | 佐田岬の風景
はなはな花火大会



 5月のゴールデンウィークも今日で終わり。
仕事があり、なかなか休めなかったが、
それでもわずかな時間を見つけ、普段とはちがった時間を過ごすことができた。

 5月1日の夜、伊方町三崎の観光交流館「はなはな」イベントとして、
花火大会があった。
 はなはな花火大会。 はなの連発。

 

 万が一に備え、待機している消防団員。


 フェリー乗り場でフェリー待ちする人たちもグッドタイミング。


 たくさんの出店も並びんでいた。


 はなはなの上で色とりどりの花が咲く


 そしてクライマックスへとむかう。






 連発する花火と爆発音。





 最後は大きな花を咲かせ、消えていく。


 この瞬間、会場から大きな拍手がおこった。
 
 ふるさと佐田岬に久しぶりに花火があがり、にぎわった5月の夜だった。

 
          岬人(はなんちゅう)



佐田岬の香りのある風景 

2016-05-05 | 佐田岬の風景
 5月5日、子どもの日。

 4月30日から帰省していた息子が今朝早く出発。
母家のじいちゃんやばあちゃんも見送りに出る。

 それはまさに30年前に今は亡きミチエばあちゃんから私がしてもらったこと。
息子を見ていると、何につけ30年前の自分を思い出す。





 今朝の岬は快晴の五月晴れ。
しかも柑橘のとてもいい花の香りが漂っている。
温州ミカンに比べて、平礒で作られている晩柑は、花の時期が少し遅い。
今からがまさに香りの時期。
 私のお気に入りの季節だ。




 息子を送る途中、我が家の畑に寄ってみた。
木いっぱいに白い花をつけ、まだつぼみながらいい香りを放っていた。
 それはまるで、5月に白い雪が降り積もったようなきれいな景色。




 未来に残していきたいふるさとの香りのある風景だ。

            岬人(はなんちゅう)