人生のターニングポイントとは、自分の考え方や価値観が大きく変える出来事のこと。
今から13年前の平成15年、日米国民交流・若手教員の米国派遣がそれにあたる。
日米首脳会談(平成8年4月)による日米国民交流計画を推進するための取組。
25歳から35歳までの若手教員をアメリカに派遣し、現地の学校での活動、ホームステイ、地域社会での交流活動を通じて、
1 日本とアメリカの若者の相互理解を深めること。
2 派遣された教員の国際的視野に立った見識を高めること。
3 日本の小中高校の国際化を推進するための中核となる人材を養成することを目的としたもの。
派遣期間は、9月中旬から12月中旬までの3ヶ月間。
コロラド州、ミシガン州、ミズーリ州、バージニア州、ウィスコンシン州の5つの州に
それぞれ10名グループで派遣された。
思いもよらないチャンスに心踊ったが、気になることが2つあった。
1つは当時入院していた祖母の容態のこと。
もう1つは、3歳の双子と6歳の息子を働いていた妻にまかせていかなければならないことだった。
結局、妻の後押しもあり、6月の筑波での研修を終え、9月から3ヶ月間のアメリカ研修に行くことになった。
出発したのがまさに13年前の今日9月17日。
こんな長い出張は初めて。
上司の竹崎校長先生から大きなキャリーバッグをお借りした。
重たいキャリーバッグを引っぱり、朝早い二名津口のバス停から松山空港、
そして集合場所の成田空港へ向かう。
離れる家族のことを思うとすごく寂しい出発だった。
3歳の双子の娘たちはたぶんしばらくの別れの意味を分かっていなかっただろう。
きっと明日にでも家に帰ってくるような思いでいたのではないだろうか。
6歳の息子には、じっくりと言って聞かせ、夏休みの終わりには双海町の海水浴場でおもいっきりいっしょに遊んであげた。
出発の朝、ニッコリと笑顔で「行ってらっしゃい」と見送ってくれた妻は、すばらしい。
心から感謝している。
同じ住宅の上の階に住んでいた妹には、留守中たいへんお世話になる。
成田空港に着いた頃には、気持ちも切りかえられ、やる気がわいていた。
たくさんの交流を行い、友をつくりたい。
いろいろなことを吸収して帰ってきたい。
「Think Globally、 Act Locally」
この経験がもとになり、地球規模で考え、足元から行動するという礎を築き始めることになった。
岬人(はなんちゅう)
今から13年前の平成15年、日米国民交流・若手教員の米国派遣がそれにあたる。
日米首脳会談(平成8年4月)による日米国民交流計画を推進するための取組。
25歳から35歳までの若手教員をアメリカに派遣し、現地の学校での活動、ホームステイ、地域社会での交流活動を通じて、
1 日本とアメリカの若者の相互理解を深めること。
2 派遣された教員の国際的視野に立った見識を高めること。
3 日本の小中高校の国際化を推進するための中核となる人材を養成することを目的としたもの。
派遣期間は、9月中旬から12月中旬までの3ヶ月間。
コロラド州、ミシガン州、ミズーリ州、バージニア州、ウィスコンシン州の5つの州に
それぞれ10名グループで派遣された。
思いもよらないチャンスに心踊ったが、気になることが2つあった。
1つは当時入院していた祖母の容態のこと。
もう1つは、3歳の双子と6歳の息子を働いていた妻にまかせていかなければならないことだった。
結局、妻の後押しもあり、6月の筑波での研修を終え、9月から3ヶ月間のアメリカ研修に行くことになった。
出発したのがまさに13年前の今日9月17日。
こんな長い出張は初めて。
上司の竹崎校長先生から大きなキャリーバッグをお借りした。
重たいキャリーバッグを引っぱり、朝早い二名津口のバス停から松山空港、
そして集合場所の成田空港へ向かう。
離れる家族のことを思うとすごく寂しい出発だった。
3歳の双子の娘たちはたぶんしばらくの別れの意味を分かっていなかっただろう。
きっと明日にでも家に帰ってくるような思いでいたのではないだろうか。
6歳の息子には、じっくりと言って聞かせ、夏休みの終わりには双海町の海水浴場でおもいっきりいっしょに遊んであげた。
出発の朝、ニッコリと笑顔で「行ってらっしゃい」と見送ってくれた妻は、すばらしい。
心から感謝している。
同じ住宅の上の階に住んでいた妹には、留守中たいへんお世話になる。
成田空港に着いた頃には、気持ちも切りかえられ、やる気がわいていた。
たくさんの交流を行い、友をつくりたい。
いろいろなことを吸収して帰ってきたい。
「Think Globally、 Act Locally」
この経験がもとになり、地球規模で考え、足元から行動するという礎を築き始めることになった。
岬人(はなんちゅう)