喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

「平和の語り部 杉野富也さん講演会 ~聞けわだつみの声~」

2016-11-15 | 社会
今から75年前の1941(昭和16)年12月8日に始まった太平洋戦争は、多くの苦難と悲しみを残しました。
 日本一細長い佐田岬半島にある伊方中学校では、それらの事実をひもとき、
戦争や平和についての正しい判断力と行動力を養う取組を行っています。

 今年の夏休みに伊方町の事業と連携し、かつて特攻隊基地があった鹿児島県の鹿屋(海軍)と知覧(陸軍)
を中学生希望者15人が訪れました。
 そこでは平和や命について、これまでよりも広く、深く考えるきっかけを得ました。
その後これらの学びを行動につなげたいと考え、伝えていく取組として新聞投稿や文化祭で報告を行いました。

 投稿が新聞に掲載されてすぐ、松山市在住の杉野富也さん(91歳)という方から連絡がありました。
平和学習の内容と生徒の感想を読んで感動したとのことでした。
 
 杉野さんは、元海軍航空隊の偵察機「彩雲」の搭乗員で昭和17年、17歳で海軍航空隊に入隊。
偵察機で電信員の任務に就きました。

 松山や高知、そして終戦直前の昭和20年5月には、海軍特攻基地の鹿屋に配属され「我、突入す」
といった特攻機からの電信を次々と受信した経験をもたれています。
「隊員の友人たちは特攻でほとんど亡くなった」
と、多くの若い命が戦争で奪われたことを現在様々な機会で語る活動をされています。


 「私と同期の者は、全国で約1500名いました。
しかし当時のことを今しっかりと語れる者は片手くらいの人数しかいません。
亡くなった戦友たちから自分たちのことをしっかりと語りついでくれ、と言われているような気がしています。
これからも平和な世の中であり続けるために、私にできることがあれば声をかけてください。」

と言われました。

 このような偶然の中の必然とも言えるような出会いがあり、
今日、伊方中学校で講演会をしていただくことになりました。





 実際に戦争を体験された人から聞く話は、胸にせまるものがありました。
 太平洋戦争が終わり71年が経ち、戦争体験をされた方々から話を聞ける機会は年々少なくなっています。
生の声を聞くことができるのは、生徒たちが最後の世代となるかもしれません。
 この「平和の語り部講演会~聞けわだつみの声~」により大切なバトンのリレーが行われることを願っています。

 講演会後には、懇談の時間もあり、
「平和な今の日本をまもっていくのは若いみなさんです。
戦争は絶対にいけません。
2度とあんな戦争が起こらないよう、よろしくお願いします。」

という思いを託されました。

 
 そして歳の差が約80歳ある杉野さんと中学生たちが、固い握手を交わしました。


 新聞社の取材もあり、自分の思いをしっかりと語る中学生に感動しました。


 佐田岬の中学生たちには、すばらしい未来を築いていこうとする心が育っています。


            
                   岬人(はなんちゅう)