「あとから」なんて何とでも言えるわな。よく、テレビでやってる、事件を起こした人に関するインタビューなんかもう見てられへんね。
たとえば殺人を起こしてしまったAについて、学生時代を知る女性に。
インタビュアー:「Aって学生時代はどんなひとだったんですか?」 ・・・この時のインタビュアーの心得・・・眉をひそめて、とんでもなくヘンな人やったと言ってね、と目で合図すること。 ・・・カメラマンの心得・・・決して顔の全体を写さず、しかし、かすかに勝ち誇った笑みをうかべる口元を捉えること。
Aを知る女性 :「そうですねぇ、友達が少なくて協調性がなかったように思います」
インタビュアー:「その頃からなんとなく危ない感じっていうのがあったんですね」
Aを知る女性 :「そーなんですよぉ、私なんていつ襲われるかと思ってました」 ・・・ここのポイントは最初の人選にある。必ず、ビミョーに襲われそうにない女性を選ぶこと。NHKみたいに「おたくは絶対ないでしょ」みたいな人を選ぶのはNG。ここでは、いかなる笑いも厳禁なのだ。
でもこれがもし、Aがノーベル賞でも獲っていたらどうか?同じインタビューを先ほどの女性にしてみよう。
インタビュアー:「Aって学生時代はどんなひとだったんですか?」 ・・・この時のインタビュアーの心得・・・顔を見たことある程度でも、十年来の友達みたいに話してね、と必要ならギャラを払うこと。 ・・・カメラマンのの心得・・・あたり前の笑顔ばかりでは弱い。ここは何がなんでもバストアップで、時にはバストだけも少し。
Aを知る女性 :「そうですねぇ、自己が確立してたというか、周囲りに振り回されることがない人でした」
インタビュアー:「その頃からなんとなく大物になりそうだと感じていたんですね」
Aを知る女性 :「そーなんですよぉ、いつか抱かれたいと思ってました。」 ・・・ここは大人っぽく色っぽい女性で、なんて考えるのは素人。こここそ、「おたくは絶対ないでしょ」みたいな人を選んでおくのがコツ。ここで欲しいのはなんといっても「笑い」なのだ。少々失笑気味くらいが嫉妬がなくてちょうどいい。
とまあ、こういうふうになるわけで、まったく「説明」なんてのは、しょせんあとからするもんやから、結果に辻褄を合わせるのは「どうとでも」なるわけや。そこそこの稼ぎのサラリーマンが、1億円拾ってもそれを黙って、「サラリーマン○○の1億円錬金術」なんて本でも書けば、嘘八百並べてあっても信じる人は多いやろう。大女優になったかキャバクラ嬢になったかで、同じはずの過去が違って見える。「その当時の感情」なんて、「とりあえずの現在の結果」の良し悪しで、コロッと変わる。そこへ持ってきて、インタビュアーが一種のマインドコントロールをするもんやから、もう、聞かれてる人の気持ちなんて、番組製作サイドの思いのままと言っていい。
果たして、自分自身にもそんなインタビューをしていないか?プロセスを忘れ、結果に一喜一憂していないか?結果を恐れ、プロセスで立ち止まっていないか?そんなことを考えると、自分を「どうとでも説明してる」ことって結構多い。
心の健康は体とは逆で、話につまづいてしまう時は健全で、スイスイと歩いている時はアブナイ。もうしばらくは、しっかりとつまづきたいもんやね。