僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

絶滅した豪傑

2006-04-22 | Weblog
ふと思い出したけど、約1ヶ月前の3月20日は、いかりや長介さんの命日やった。
この人は僕の尊敬する人の一人で、特にあの個性派集団のドリフターズを何十年にも亘ってまとめあげてきた指導力・統率力は特筆ものやと思てる。きっと笑いに対する探究心もすごかったんやろうね。単純なドタバタやねんけど、セリフをよく聞いていると結構練ってあるし、小学生から大人までが笑える笑いを実現したというのはたぶんドリフ以外に覚えがない。まぁ、偉大な人やったね。
ところで、命日と偉大な人で思い出した人がいる。それは、前の会社でお世話になった上司のK氏。命日で思いだす訳やから当然亡くなられているんやけど、社会人として赤子だった俺を一人前に育ててくれた、まさに恩師。
その人のことを、一言ではもちろん言い表せないし、かと言って、多くを話すとかすれてしまうから、どう言おうかとすごく悩んでるんやけど、とりあえず一言でいうと、「豪傑」これ以外に思い浮かばんな。

あんまり大きな声ではいえんけど、仕事中でも机の下に酒を隠して飲んでいるような酒好きで、―でも飲むときは机が完全に飲み屋のカウンターと化しているので、隠してる意味がないんやけど―「酒を飲めるヤツが一番エライ」というごっつ明快な哲学を持ったはった。明快な哲学はいとも簡単に善悪を超越するもんや。
よう、仕事中に酒を買いに行かされた。特に夏。おい!と呼ぶから何を怒られるのかと思ったら、「暑いからビール買うてこい!」やもん。続けて、「酒も買いにいけんようなヤツがまともに仕事なんかできるかい!」ってアンタ。
そんな躾、ヤクザでもせんやろうと思うようなことを当たり前に言うたはったなぁ。でも、その頃は何が何だかようわからんかったけど、今は分かる。その「酒も買いにいけんような・・・」という意味が。それは、サラリーマンは「理不尽をいかに生きるか」が基本やということやったんやなって。
ある日、そのK氏の上司にこっぴどく叱られたことがある。でもその内容は、建屋に雨漏れしてる箇所があって、それは俺が直なさいのが悪いというようなもんやった。どこからどう考えても納得できなかったので、俺は完全に切れてしまって、「そんなものは専門業者に言ってくれ」というような文句を言ってしまった。思いもかけず、俺が反発したもんやから、その人は俺の直属の上司であるK氏に、君の管理が悪いからこんな部下が育ってしまう、という八つ当たりをした。そこでK氏はその人にひとこと。

「ガタガタ騒いでる間があったらアンタがやりなはれ」

これでまず俺は溜飲を下げたんやけど、その後のK氏の行動がまた俺の胸を打った。しばらくしてK氏がいないのを知った俺は、何処へ行ったのかなと思ってたんやけど、ふと屋根を上を見るとそこにK氏がいて、「ったく、お前がろくでもないこと言うから俺がこんなことせなあかんやないかい!」と笑いながら雨漏れを直してくれていた。
任せるだけ部下に任せ、責任は自分がとるという理想の上司やった。男はこう生きるべきという背中を見せてくれた理想の男やった。理不尽でも組織は前に進まなあかんねやということを俺はこの時に覚えたんやと思う。

最後の時が近づいてきていたある日、俺が病院に見舞いに行ったら、「もうすぐ友達がくるから帰れ!」と言われた。普通に聞くと腹の立つ所なんやけど、俺はそれが嬉しくて、K氏らしさに安心して帰った。
それからまた1~2週間してまた見舞いに行った。でも、その時にK氏の言った言葉は俺の予想に反して「おう、すまんの」やった。その時初めてこの人から「すまん」という言葉を聞いた。一度も褒めてもらったことなんかないし、人に謝らせても自分が謝るなんてところを一度も見たことがなかった。また、「帰れ」と言ってくれると思ったのに。悪くもないのに叱ってくれると思ったのに。帰り道に涙があふれて止まらんかった。この人の口からは絶対に聞きたくない言葉やった。その1週間後、K氏は逝った。

K氏が生前していたことには、正しくないことが恐ろしいほどあった。でも、その“決して正しくはない”言動・行動こそが人を惹き付け、人に真っ直ぐさ”を教え、今なおその頃の仲間が集まれば必ず話題に上るほどの影響を残したんや。そういう人を「豪傑」というのなら、俺はその人以外に豪傑に会ったことがない。
毎年5月になると、その人にお世話になった仲間が集まってバーベキューパーティーをする。K氏の話で盛り上がってる俺達に、K氏はきっとこう言ってくれるやろう。

「いつまでたってもあかんのう、お前らは」