僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

もう

2006-04-27 | Weblog
今朝、駅の改札口を通ろうとしてたら大慌てのおばちゃんが俺の前に割り込んできて、先に通ろうとしたんやけど、おばちゃんのまだその前の人が改札機になんぞ入れ間違ったみたいでゲートが閉まってしもた。
そこでおばちゃん、「もう!」と一言。
その声に、なんとも情けないなぁ、と思いながらどうして情けないと思うのか考えてみた。

勝手に情けない人の三要素を定義すると、
1.バカであること
2.バカだと分かっていないこと
3.お幸せであること
この三つに尽きると思うねんな。

そこから考えると、この「も」と「う」の刹那には見事にこの三要素があった訳よ。

<ひとつめ・・・バカ>
人間誰にでもイライラする時はあるし、「もう」と思う時もある。程度には個人差があるやろから、「この程度のことで」とは言わんけど、その気持ちを抑えるべきか吐き出すべきかを理性で判断して、他人様と日常生活を送ってるわけや。何をどれだけ急いでいたのかは知らんけど、わざと邪魔したわけでもない人に「もう」は出したらあかんことくらい、判断できんでどうするねん。

<二つ目・・・バカだと分かっていない>
その「もう」の声は、半径1m四方くらいにだけ聞こえるようなビミョーな大きさで、しかも無声音。相手に聞こえるように、でも、それ以外の人には聞こえないように、調節されたB♭くらいの音。たぶん、自分では考えて一番うまいこと文句を言ったつもり。そんな器用な調節ができるのなら先に自分の気持ちを調節せえ、ちゅうねん。

<三つ目・・・お幸せ>
大股で人を蹴散らしながら会談を駆け登り、無事急行電車に飛び乗られました。そのあと、わずか半人分くらい空いた椅子におしりをねじ込まれたのだと思います。

とまぁ、色々情けない話はあるけれど、結局こういうことを書いてる自分が情けない訳で・・・ということでここらで「もう」やめときます。