僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

朝ごはん食べたんか

2011-07-19 | Weblog
私の先祖は、高槻城主高山右近に仕える武士だったらしい。太刀持ちだったというからかなり重要なポジションである。
その子孫は、高槻が村だった頃の村長で、村が立ててくれたという、寺で一番大きな墓がある。そして、脈々と歴史は続き、今は私の代。

母にはずっとこう言われてきた。
「先祖のおかげで今がある。いつも仏様に手を合わせなさい。お墓参りは絶対に欠かしたらあかん。」
こうも言われてきた。
「昔、先祖は人を斬ってきた。あんたが怪我ばっかりするのはそのバチや」
「おじいちゃん(竹箒の!)が無茶な投資をしたことがある。あんたはその血を引いてるから何をするか分からん」
「○○のおっちゃん(父の兄弟)は女遊びが激しい。あんたはあのおっちゃんに一番顔が似てるからアブナイ」
最初の話以外は、無茶苦茶な理屈だが、いずれの場合も「あんなご先祖様のようになりなさい」、とか逆に「あんなふうになってはいけません」とは一度も言われたことがなかった。ようするに、判断は自分でしなさい、ということだったのだろう。
私はそれを、「肩書きより生き様」と理解し、今に至っている。「職業を会社名で語る奴には、負けない」という名コピーがあったが、まさしくその心境である。

母は、家の系譜に加え、姑、子姑、もろもろの人間関係が渦巻く中で、自分の強い意志と判断で私を育ててくれた。でも最近は、寄る年波に勝てず、勘違いや物忘れが激しくなり、家族が困ってしまうこともしばしばだ。

今朝、母に、「行ってきます」と言ったら、「朝ごはん食べたんか?」というとんちんかんな言葉が返ってきた。
まったく会話にならないが、どんな状況下にあっても私を気遣うことを忘れないその一言は、家の歴史を刻み続ける、ということは、いかなる時も家族を気遣い続けるということだ、と教えてくれた気がする。