僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

こんな人が好き〈VOL7〉

2006-04-11 | Weblog
自分は方向音痴やと自覚している人ってどのくらいいるんやろ。実は俺、自他共に認める方向音痴師範代やねんけど、俺から見ると、同じように方向音痴です!っていう人のほとんどは、まだまだ素人が多いのよ。

よくいるのが、目的地に180度正反対に向かってしまったから、方向音痴なんです、という人。
でも、師範の俺に言わせれば、「あっちかこっちか」で間違える人は1/2の確率で目的地を把握してる人が多いと思うねんな。50%もちゃんと目的地へ着く確率を持ちながら音痴教の門を叩くなんて、100年早いわな。
ホンマの方向音痴っちゅうのはそんなもんやないねん。説明するとやね・・・

1.東西南北はマージャンが語源だと理解している
2.通りや筋というと「裏」という言葉以外浮かばない
3.地図は文字以外読めない
4.待ち合わせは○○タワーのようにどこからでも見渡せる場所でしかムリ
5.大阪府の隣接が府だか県だか分からない
6.でも、それがどうしたと思っている

てな具合や。まぁ今これができるのは、俺とバンド仲間のM女史を除いて他にはおらんね。ここで詳細は語らんけど、彼女は、俺が今まで会った中で最も才能豊かな方向音痴。いつか、師範の俺を超えてくれることやろう。
ということで、今日のこんな人が好きは、

「とにかく「北」を目指している人」

もちろん、方向が分かるだけでも尊敬に値するんやけど、引き寄せられるように北を目指すなんて生き方がシブイやんか。こっちはまだ「イナバウアーしかできないスケーター」より、お会いできる確率が高そうな気がするわ。

こんな人が好き〈VOL6〉

2006-04-09 | Weblog
自分の武器とは、「それしかできない」ということだ。こないだ荒川静香さんの大阪公演をテレビで見てそう思った。ということで、久しぶりのこんな人が好き、はこれ。

「イナバウアー“しか”できないスケーター」

すごいで、こんな人がリンクで滑ったてたら。他のスケーターも困るでー。ちょっと低い位置に上下反対向きの顔があんねんもん。どうやって挨拶したらええかわからへん。引退後は、おばあさんになっても腰が反対方向に曲がってるからぜんぜん歳を感じささへん。

世の中に奇跡があるなら、そんな人に会ってみたいな。

つまづき健康法

2006-04-09 | Weblog
「あとから」なんて何とでも言えるわな。よく、テレビでやってる、事件を起こした人に関するインタビューなんかもう見てられへんね。

たとえば殺人を起こしてしまったAについて、学生時代を知る女性に。
インタビュアー:「Aって学生時代はどんなひとだったんですか?」 ・・・この時のインタビュアーの心得・・・眉をひそめて、とんでもなくヘンな人やったと言ってね、と目で合図すること。  ・・・カメラマンの心得・・・決して顔の全体を写さず、しかし、かすかに勝ち誇った笑みをうかべる口元を捉えること。
Aを知る女性  :「そうですねぇ、友達が少なくて協調性がなかったように思います」
インタビュアー:「その頃からなんとなく危ない感じっていうのがあったんですね」
Aを知る女性  :「そーなんですよぉ、私なんていつ襲われるかと思ってました」 ・・・ここのポイントは最初の人選にある。必ず、ビミョーに襲われそうにない女性を選ぶこと。NHKみたいに「おたくは絶対ないでしょ」みたいな人を選ぶのはNG。ここでは、いかなる笑いも厳禁なのだ。

でもこれがもし、Aがノーベル賞でも獲っていたらどうか?同じインタビューを先ほどの女性にしてみよう。
インタビュアー:「Aって学生時代はどんなひとだったんですか?」 ・・・この時のインタビュアーの心得・・・顔を見たことある程度でも、十年来の友達みたいに話してね、と必要ならギャラを払うこと。  ・・・カメラマンのの心得・・・あたり前の笑顔ばかりでは弱い。ここは何がなんでもバストアップで、時にはバストだけも少し。
Aを知る女性  :「そうですねぇ、自己が確立してたというか、周囲りに振り回されることがない人でした」
インタビュアー:「その頃からなんとなく大物になりそうだと感じていたんですね」
Aを知る女性  :「そーなんですよぉ、いつか抱かれたいと思ってました。」 ・・・ここは大人っぽく色っぽい女性で、なんて考えるのは素人。こここそ、「おたくは絶対ないでしょ」みたいな人を選んでおくのがコツ。ここで欲しいのはなんといっても「笑い」なのだ。少々失笑気味くらいが嫉妬がなくてちょうどいい。

とまあ、こういうふうになるわけで、まったく「説明」なんてのは、しょせんあとからするもんやから、結果に辻褄を合わせるのは「どうとでも」なるわけや。そこそこの稼ぎのサラリーマンが、1億円拾ってもそれを黙って、「サラリーマン○○の1億円錬金術」なんて本でも書けば、嘘八百並べてあっても信じる人は多いやろう。大女優になったかキャバクラ嬢になったかで、同じはずの過去が違って見える。「その当時の感情」なんて、「とりあえずの現在の結果」の良し悪しで、コロッと変わる。そこへ持ってきて、インタビュアーが一種のマインドコントロールをするもんやから、もう、聞かれてる人の気持ちなんて、番組製作サイドの思いのままと言っていい。

果たして、自分自身にもそんなインタビューをしていないか?プロセスを忘れ、結果に一喜一憂していないか?結果を恐れ、プロセスで立ち止まっていないか?そんなことを考えると、自分を「どうとでも説明してる」ことって結構多い。

心の健康は体とは逆で、話につまづいてしまう時は健全で、スイスイと歩いている時はアブナイ。もうしばらくは、しっかりとつまづきたいもんやね。

商談か冗談か

2006-04-07 | Weblog
昼飯を食べて、ドトールで食後のコーヒーを飲んでました。すると、注文カウンターの辺りで男二人の争いが。でも声はなんか弾んでる。どうも仕事相手みたい。

A:「いやいや、いつもお世話になってるんですから今日は私が!」
B:「そんな訳にはいきません、こちらこそお世話になってるのに!」
A:「なにをおっしゃってるんですか、大したことはできませんが、
   せめてこれくらいお世話させてください!」
B:「そこまでおっしゃるのなら今日だけはということで・・・ほんと申し訳ない!!」
てな会話を大きい声で大の大人がしてました。

ほんでみてたら、Aの今日の商談の成否を賭けた(それとも終わってたのかも知らんけど)お世話代はコーヒー代の、180円。締めても締めなくても180円。100均で2つ買えそうやけど、やっぱりひとつしか買えない180円。御堂筋線一区間乗れそうで、やっぱり乗れない180円。

まぁ、気持ちの問題とはいえ、ほんとに大したことできない人でした。

PS:相手も相手や。そのくらい迷わず払ってもらえ!っちゅうねん。

弱虫を育もう

2006-04-06 | Weblog
みんな大変や。
鬱病になった友達、会社を辞めた友達、会社が潰れてしまった友達、山のような重荷をかかえた友達、何年も単身赴任してる友達、離婚した友達、奥さんや両親を亡くした後輩、幼い子供さんを亡くした先輩・・・

きっと皆一度は、何もかも投げ出したいと思ったに違いない。でも皆必死で生きてる。各々が持てる荷物の重さはそれぞれ違う。だから、一概に誰かの状況は楽で、誰かの状況はしんどい、なんて話はそもそもおかしいのに、そこでちょっと休憩した人を「弱虫」と呼ぶ人がいる。まるで人生の敗北者のように。

必死で頑張って生きている人に敗北者なんておらんのに。そんなことを言う人はそれこそどうにかしてるのに。敗北者として弱虫と呼んだら、それは絶対に間違ってる。と、これは、「呼ぶほう」の人に対して言いたい。

一方、弱虫と呼ばれるほうの人に対して。
「弱虫そのもの」は誰の心にも必ず住んでるものやし、それは決して悪玉やない。弱虫が悪者になってしまうのは、ちょっと間違って、その弱虫が住んでいること自体が自分の弱さで、「負け」だと思ってしまった時。そうなると、それを追い出そうと、できるはずもない無理をしてしまうから、それに疲れて倒れてしまう。ものすごく頑張ったのに結局どうにかなってしまう人はこのタイプやと思う。

そしたら、弱虫が善玉になる時って?って話やけど、人の苦しみや悲しみをよく分かるように教えてくれる。たまに情けないこともしよるけど、そんな時は、勇気とは何かと教えてくれる。何より、「あんたは弱虫なんかやないよ」と言ってくれる。

つまり、弱虫は可愛がって上手に育ててやれば、一番大切な友達になってくれる時がくる。もし、人に弱虫と言われたら、逆に「うらやましいやろ」といってやれるくらい大事な存在になり得るのよ。

ある友達が言った。皆ほんとにどうにかなる寸前、紙一重の所で頑張ってる、と。どうにかなるか、留まれるか。その一重の差はこの傷つきやすい、小さな虫の育て方にかかってる。
そう考えると、自分の弱虫に名前でもつけたい気分になってくるな。せめて強そうな名前を、と考えてしまうのも、弱虫の粋なはからいなんかも知れんね。

団塊讃歌

2006-04-02 | Weblog
場の盛り上がる音楽って何を連想します?ロックとか、ラテンとか、色々あるけど、大体がアップテンポでいわゆる「ノリ」のいい曲が思い浮かぶ人がほとんどやと思うんやけど。

昨晩、バンドメンバーと行きつけのお店でいつものようにギターを弾いて歌ってました。お店にいた人はおおよそが団塊の世代の人。その中の一人のお客さんが唄った曲がその日一番盛り上がった曲。それは、「神田川」

いわゆるフォーク世代なら知らない人はおらん名曲けど、内容はそれはもう暗い唄(笑)。でも、その曲が始まるとほぼ全員で大合唱がはじまり、なんかその雰囲気はもう「縦ノリ」。なんでこんな曲調の暗い唄でこんな盛り上がるのか、なんか不思議になった。

尊敬する松任谷由実さんがこう言うてた。「変わらないということは変わり続けることだ」

団塊の世代の皆さんはまぎれもなく日本を支えてこられた。その皆さんのほとんどが「働くことがアイデンティティー」やったと思う。でも、皆さんはそのアイデンティティーを貫くために、きっと変わり続けてきたのよ。
変わる時代に遅れまいとした人もいれば、時代を待たせてきた人もいたやろう。家族のために自分を犠牲にした人もいれば、出世だけに全てをかけた人もいたやろう。皆、激流に飲まれ流され、でも生きるためには自分の姿が何なのか分からなくくらい変わらざるを得なかったはずなんや。でも彼らはどんな姿になろうとも、決して「俺は俺」という姿勢だけは変えなかった。信じるものを変えたりしなかった。それがきっと「変わらない」ということなんやと考える余裕もなく、変わり続けて自分を貫き通してきたんや。

つまり、「時代が変わろうとも」神田川は変わらない、ではなく「変わり続けた人」には神田川は変わらない。

あの日の夜、あの店には、激動の時代に自分を貫き通した戦士達の「変わらない神田川」があった。それがあの、恐ろしくテンポが悪くて泥臭い、でも突上げてくるような迫力のある大合唱になったんやろね。俺みたいな若僧が偉そうに言えんけど、そんなことを考えるともう、なんとも偉大な先輩達に、ただただ頭が下がる思いがする。

この店に来る前の高級イタ飯屋さんで、食事をしながらさんざんエロ話に花を咲かせて、お店の人の顰蹙を買った俺たちやけど、最後には、大切なことを教えられた北新地の夜でございました。