「越前山續忍道」から月所丸と大嶽をめざす~朝倉氏の小谷来援ルートを体感する
日 時 平成24年10月7日(土) 10時~16時 参加者29名」
「越前山續忍道」から月所丸と大嶽をめざす
-朝倉氏の小谷来援ルートを体感する-
集合は、JR北陸線河毛駅東口(長浜市)です。
《参加申込み必要》 小谷城戦国歴史資料館
電話:0749-78-2320 【E-mail】odanijou-s@maia.eonet.ne.jp
所在地 滋賀県長浜市湖北町郡上
【アクセス】
福寿丸へは、小谷城の西側尾根先端部麓にある清水神社のところから、山崎丸経由で登城することも出来るが、折角なので、東側尾根の小谷城から登り、小谷城頂部の山王丸の奥を一旦下りて、六坊跡経由で大嶽城→福寿丸→山崎丸をめぐって下山することをお薦めする。
月所丸は小谷城の最北端に築かれた、訪れる人も少ない秘境です。「越前山續忍道」
は月所丸を経て北へと続く山道で、小谷城絵図にその名が記されています。浅井氏が織
田信長と戦った元亀争乱期には、越前との連絡をはかる間道として、また朝倉氏の小谷
来援ルートとして機能したことから、信長軍はこの道の制圧をはかっています。
今回の探訪会では、小谷山北端の茂坂峠から「越前山續忍道」に入り月所丸、六坊を
通って、朝倉軍が守備した大嶽・福寿丸・山崎丸を訪れます。朝倉氏の小谷来援ルート
体感してみませんか。みなさまのご参加をお待ちいたしております。
探訪:「越前山續忍道」から月所丸と大嶽城址・福寿丸・山崎丸をめざす
大嶽城 (ウィキペディア)
山王丸から谷筋へ下り、さらに山道を登った所に大嶽城があり、小谷城の支城の一つとして機能していた。ここは小谷城の主郭部からは100メートル以上高く、小谷山の頂上もここにある(海抜495メートル)。現在は元亀年間に朝倉軍が駐留した際に築かれたと考えられる、曲輪・横堀群などが残されている。これらの遺構は直角に成型されており、小谷城の主郭部より高度な技術がうかがわれる。
浅井亮政の築城当初は、小谷城はこの大嶽にあったとの説もある。考古学的に裏付けるものはないが、六角氏の天文年間の文書には、確かに「大嶽」の単語がいくつか見られる。
福寿丸・山崎丸
大嶽城から見ると南に二本尾根が分かれている。うち東側の一本が小谷城の主郭部であるが、西側のもう一本にも小規模ながら城郭の遺構が残されている。これらは大嶽城と同じく元亀年間に朝倉軍が築いたものと考えられ、江戸時代の地誌などから「福寿丸」「山崎丸」と現在では呼んでいる。これらの遺構は、長方形に成形され、当時としてはとても高度なものである。
大嶽城跡で、まず昼食(友人の少年城郭研究家のお弁当!)
標高495mと494.5mの2枚表記(友人に質問=4捨5入とか)
対織田軍に備えて朝倉軍が改造して守備した城郭
福寿丸東側虎口前に立つ石碑と説明板
福寿丸東側虎口前に立つ石碑と説明板
下山後、参加者で記念撮影(少年探訪者4名)
ブルーのユニホームの語り部の皆さんとkさん、案内・説明をありがとうございました。
消費カロリー 301.6kcal 脂肪消費量 70.8g
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。