今年は9月30日に「まるごと佐和山城2012」開催予定だったが台風17号で中止になってしまった。
○まるごと佐和山城址探訪 20111002○まるごと佐和山 佐和山城は中世から南北近江の境目の城として、京極・六角両氏が抗争を繰り広げた重要な城。また豊臣秀吉を支えた五奉行の一人石田三成の居城としても有名です。...
主旨
佐和山城は中世から南北近江の境目の城として、京極・六角両氏が抗争を繰り広げた重要な城です。また豊臣秀吉を支えた五奉行の一人石田三成の居城としても有名です。しかしながら現在は、かつての姿を彷彿とさせるような遺構はほとんど見られず、わずかに残る石垣や土塁・空堀に往時の姿を想像する他ありません。そこで佐和山城に対する関心を高め、城跡見学のマナーを啓発することで、佐和山城跡の適切な保存活用につなげていくことを目的としてこの事業を実施します。
特に今年度は、伐採事業によってこれまで困難だった太鼓丸の見学が可能になりました。城内最大級の郭である太鼓丸をこの機会に是非ご見学ください。
鳥居本宿→内町→かもう坂往還→切り通し→本丸跡→太鼓丸→石垣→本丸跡→切り通し→かもう坂往還→内町→鳥居本宿
- 全行程約6km
- 所要時間約3時間30分
http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20120810_1.html
残念、後日の開催に期待しよう!
石田三成の実像語る 佐和山城研究会・田附代表京都新聞滋賀本社主催の講演会「湖灯塾」
京都新聞滋賀本社主催の講演会「湖灯塾」(滋賀中央信用金庫協賛)が15日、近江八幡市出町の京都新聞湖東・湖北総局湖灯ホールで開かれた。滋賀県にゆかりの深い武将石田三成の実像を「佐和山城研究会」代表の田附清子(たづけすがこ)さん(50)が語り、大河ドラマや小説で悪人に描かれがちな三成のイメージに疑問を呈した。
三成が領内に発布し、地域で現在まで大切に保管されてきた掟書(おきてがき)を紹介。年貢を代官が農民と一緒に決め、直訴も許していた点を挙げ、「農民の生活の安定をまず考えていた」と名君だった側面を紹介した。
また、三成が失敗して「戦下手」と評される根拠になった「忍城(おしじょう)の水攻め」について、豊臣秀吉の水攻め指示に三成が当初反対していたとする説を紹介。「賤ケ岳の戦いでも一番槍(やり)の戦功を挙げている」とし、戦下手説を疑問視した。
最後に、関ケ原の戦いで敗れた三成が逃走した滋賀県北部の足跡をスライド写真でたどり、「(三成の悪いイメージは)江戸時代の徳川家中心の史観で形成された。地域に残る三成の逸話、伝説の中に本当の歴史があるのでは」と結んだ。
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120915000099