城郭探訪

yamaziro

馬杉北城  近江国(甲賀・上馬杉)

2015年05月07日 | 丘陵城

 

お城のデータ

所在地: 甲賀市(旧:甲賀郡)甲南町上馬杉字岡ノ下、北谷、下馬杉字出雲   map:http://yahoo.jp/kw9yqT

区 分:丘城

遺 構:土塁、堀切、虎口

築城期:室町期

築城者:馬杉丹後守

廃 城:織豊期(元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる)

城 主:馬杉丹後守

標 高:240m   比高差:30m

目標地:油日神社・誓蓮寺・上馬杉草ノ根ハウス

駐車場:上馬杉草ノ根ハウス

訪城日:2015.5.5

林道(参道)を入ると、獣害ヘンスを開けて、馬杉中城東側の横下を通って、太子堂まで簡単に入ることができる。

お城の概要

馬杉北城・・・・は、甲南町上馬杉集落の北側に広がる丘陵地帯の最高所に立地している。上馬杉に立地する諸城のうち当城だけが集落に面しない、奥地に位置している。現在は、油日神社の境外社の太子社が主郭に祀られている。

 主郭は、東西約20m、南北約15mの北隅が凹んだ円形に近い形で、東側には南に回り込むスロープが付帯し、南側一段下の半円形の腰郭に繋がっている。

 南腰郭の西隅からは、北西へ斜めに下り、鋭角に南に折れ城外に通じる通路が残る。鋭角に折れずに進むと西側の土塁囲みの嘴状の腰郭へ通じている。
頂部から四方にのびる尾根には、東側と南側に堀切、北側は南北に長い三角形状の郭の切岸、西は二重堀切で城域を区画している。

太子社が祀られ頂部は、当城の中心部でもあり、部分的に改変を受けていると思われる。

主郭に大師堂

歴 史

詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏に関係する城か。

『甲賀郡志』に「六角氏白旗隊馬杉丹後守の築く所にして、元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる。」と記されている。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

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岡之下城  近江国(甲賀・上馬杉)

2015年05月07日 | 丘陵城

主郭と曲郭2の間の堀切

お城のデータ

所在地:甲賀市(旧:甲賀郡)甲南町上馬杉字岡ノ下   map:http://yahoo.jp/N5jqfx

現 状:山林

区 分:丘城

遺  構 : 土塁、堀切、虎口

築城期:室町期

築城者:馬杉丹後守

廃 城:織豊期(元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる)

城 主:馬杉丹後守

標 高:240m   比高差:30m

目標地:油日神社・誓蓮寺・上馬杉草ノ根ハウス

駐車場:上馬杉草ノ根ハウス

訪城日:2015.5.5

お城の概要

岡之下城・・・・は、甲南町上馬杉集落の北側に迫る丘陵先端部に位置し、岡ノ下池を挟み東側には染田砦が、狭い谷を挟んで西側には馬杉中城が立地している。

 馬杉中城の西側の尾根裾には油日神社が鎮座し、さらに西側の尾根先には井口氏城が所在しており、上馬杉集落の北側すべての尾根先に城郭などが築かれている。これらの諸城は、村の地理に応じて役割を分担し、機能したと見られている。

 岡之下城の構造は、二本の浅い堀切で区画された南北に連なる三つの郭と帯郭からなっている。北側頂部に置かれた南北約20m、東西約15mの最も広い郭が主郭と見られ、西面を除く三方に低土塁がめぐり、西面中央には虎口の凹みも残る。主郭の北面土塁の外側は自然地形の斜面、鞍部を経て丘陵に続いている。主郭の南側は、高い土塁の外側を深く掘り切り、その南側が中郭で北面に土塁の痕跡の高まりが残り、堀切越しに主郭とは連絡していないようである。中郭の南側を更に浅い堀切で区画し、南側に南郭を設けるが、地形に制約され「し」の字形に先細りにカーブしている。南郭から一段下がった南東から南、西側に帯郭が付帯している。

また、主郭の東側に小さな支尾根が張出し、三段に削平されており、谷を見張っていたと考えられる。

主郭土塁曲郭2の上部土塁主郭と曲郭2の間の堀切曲郭3の土塁(曲郭内は矢竹で確認出来ず)

歴 史

岡之下城・・・・は、詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏の一族の城か。

『甲賀郡志』に「六角氏白旗隊馬杉丹後守の築く所にして、元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる。」と記されている。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

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馬杉中城  近江国(甲賀・上馬杉)

2015年05月07日 | 丘陵城

 

主郭背後の大土塁 主郭基壇に稲荷神社の石碑

 左・・・馬杉中城、右・・・岡之下城

お城のデータ

所在地:滋賀県甲賀市(旧:甲賀郡)甲南町上馬杉小字岡ノ下 map:http://yahoo.jp/2sf2qk 

区 分:丘城

遺 構 :土塁、堀切、虎口・

築城期:室町期

築城者:馬杉丹後守

廃 城:織豊期(元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる)

城 主:馬杉丹後守

標 高:230m   比高差:20m

目標地:油日神社・誓蓮寺・上馬杉草ノ根ハウス

駐車場:上馬杉草ノ根ハウス

訪城日:2015.5.5

お城の概要

馬杉中城・・・・は、岡之下城の立地する尾根の北方背後に位置する頂部から南に張出しのびる尾根先端部に築かれている。

 構造は、北側背後を堀切で遮断し、土塁に囲繞された方形郭に副郭が付属したと考えられている。しかし、現在は背後の堀切と北面土塁が「コ」の字状に残るのみで、方形郭の南側と副郭は破壊され、土塁から南は約60mに亘り平坦地から緩斜面が続く地形に変貌している。
残存する土塁の東端部は高く巾が広くなっており、櫓台と見られる。

 馬杉中城は単郭の城で、北背後を高土塁と堀切で遮断して切り離し、広い削平地を設けている。

土塁はコの字状ですぐ下に土壇があり稲荷社の石碑が建っている。

南側の尾根先は堀切があったのか定かではないが、林道の入口が堀切状の地形を通って東側の山腹へ登っている。

林道(参道)を入ると、獣害ヘンスを開けて、馬杉中城東側の横下を通って、太子堂まで簡単に入ることができる。

 

北背後を高土塁と堀切で遮断して切り離し

主郭背後の高土塁(最高所)

堀切で遮断して切り離し

 稲荷神社の石碑主郭背後の土塁(最高所)

歴 史

馬杉中城・・・・は、詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏の一族の城か。

『甲賀郡志』に「六角氏白旗隊馬杉丹後守の築く所にして、元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる。」と記されている。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

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馬杉支城 近江国(甲賀・上馬杉)

2015年05月07日 | 丘陵城

北(上)が馬杉城・・尾根続きの南(下)馬杉支城

お城のデータ

所在地:甲賀市甲南町上馬杉(甲賀群甲南町上馬杉)   map:http://yahoo.jp/9jg6-V

区 分:丘陵

築城年:室町期

築城者:馬杉氏

遺 構:土塁、堀切、

標 高:240m 比高差:30m

目標地:油日神社・誓蓮寺・上馬杉草ノ根ハウス

駐車場:上馬杉草ノ根ハウス

訪城日:2015.5.5

西側の・・・犬走りか?

獣害フェンスの中へ

上水道第二配水地を南へ頂部見張り櫓台か?横堀

お城の概要

馬杉支城は馬杉城の南背後の尾根続き(今は、間に民家で遮断=往古曲郭・城門だったかも?)に築かれている。

馬杉支城・・・・は、馬杉城の南隣の細尾根に築かれている。削平が不十分で傾斜や段差があり、遺構は不明瞭である。西側に近年敷設された道路端から東へ緩やかに傾斜した地形が30m程続き、南北方向に堀切を設け先端部を区画している。

 堀切の東側に土塁が築かれ、約30m四方の緩やかに傾斜し、北東一画が一段低くなった区画が続いている。その先にも台形状の平坦地がある。
しかし、民家の南側基壇は近年、畑や果樹園に平削され、残る遺構から城郭の困難である。

その下に南北に横堀状の地形が残る。その先もなだらかな地形となっている。

 東側の曲郭

歴 史

馬杉支城・・・・は、詳細不明であるが、在地土豪の馬杉氏の一族の城か。

『甲賀郡志』に「六角氏白旗隊馬杉丹後守の築く所にして、元亀年間同氏の衰亡と共に遂に廃墟となる。」と記されている。

馬杉支城・・・馬杉城(遠望・・・馬杉中城登り口より)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

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