お城のデータ
所在地:大津市伊香立途中町 map:http://yahoo.jp/3FvqRF
区 分:山城
現 状:山林
築城期:
築城者:中原氏
城 主:中原包高
目標地:伊香立クリーンセンターの入り口
駐車場:NTT中継所付近
訪城日:2015.3.15
小字猿喰(さるばみ)の丸山(城山)。
お城の概要
伊香立クリーンセンターの入り口付近のNTT中継所付近一帯
また、小字猿喰(さるばみ)付近にあったともいわれる丸山(城山)の位置する。
還来神社(伊香立途中町518)の南西の方にある山に、下司中原包高の居城の跡があったと伝えてられています。
尚、下の石垣は近世土留め石垣です。。。
お城の歴史
この城は、下司中原包高の居城。
還来(もどりぎ)神社の末社に、包高(かねたか)の霊が祀られている。
往昔、此の龍華の荘(大津市伊香立途中町、上龍華町、下龍華町)は藤原氏の食邑地にして、当時其の邸宅あり(大津市栗原地先)旅子ここに生まる。長じて比良の南麓、最勝寺の開祖、静安に随侍し帰依す。土俗称して蓮華婦人という。
静安勅を奉じ、しばしば宮中に参候して、佛名会、灌佛会等を行う。是により才色兼備旅子、桓武天皇に召し出され、第五十三代淳和天皇を生み奉る。旅子甚だしく寵愛深かりしが、京都西院に隠棲され、延暦七年(西暦七八八年)五月十八日病を得て逝去さる。
病重篤と成りし時『我が出生の地、比良の南麓に梛の大樹有り、その下に葬る可し』と遺命されし故、此処に神霊として祭祀さる。(鳥居真正面の古木が初代の梛の木)
平治の乱(西暦一一五九年)起こりし時、戦に敗れし源義朝の一行は八瀬大原街道を敗走、ようやくにして此の還来神社社頭に着き、白羽鳴鏑の矢を献じ武運長久を祈願する。此の一行に有りし源義朝、落伍し途中の山に迷い乍らも、やがて還来神社に到着、源氏の再興を祈願し、東国へと走る。後年、頼朝源氏の頭領として君臨せし時、此の還来神社大明神を忘れ難く神田を寄進す。
故郷に還り来たれるとの此の神社の由緒に鑑み、その後日清、日露の戦いに参戦する人、此の社に参拝をなし、無事帰還を祈願さる。太平洋戦争に至るや、参拝者引きも切らずやとかや、又源頼朝白羽の矢と共に、馬に付けられし鈴をも奉納されし故事を以て、祈願者大小の鈴を奉納さる。何事も、必ず無事還れると言う御神徳に鑑み、戦い終わりし今日も、海外旅行、海外出張、旅行、交通安全、病気平癒、健康回復、又尋ね人等の帰還祈願に参拝者が絶えない。
参考資料:伊香立イラストまっぷ・還来(もどりぎ)神社の由緒・滋賀県中世城郭分布調査・大津のかんきょう宝箱
本日も訪問、ありがとうございました!!