西の丸と伝わる曲輪から建物跡遺構 石田三成ゆかりの佐和山城跡
石田三成(1560~1600年)の居城として知られる滋賀県彦根市の佐和山城跡で西の丸(同市古沢町)と伝わる曲輪(くるわ)を調査をしていた彦根市教委は25日、曲輪から建物跡の遺構を確認したと発表した。同城山中で曲輪を発掘調査したのは初めて。
本丸跡は佐和山頂上(標高約230メートル)にある。西の丸は本丸跡から北側に約180メートルメートル離れ、標高は約180メートル。
廃城から約200年後の江戸時代に描かれた「沢山古城之絵図」では西の丸に三段の曲輪があり、今回下段で初めて範囲確認を実施。
広さは南北約30メートル、東西約25メートルあり、斜面を切り土と盛り土で平らにしていた。軒平瓦などおびただしい焼けていない瓦片が出土した。
北西端には、何かを貯蔵した地下室と推定できる楕(だ)円状の土坑(長軸約6・9メートル、短軸約5・6メートル、深さ約1・9メートル)があり、その土坑の四隅(南北約5・7メートル、東西約3・8メートル)から建物の礎石据え付け跡を確認し、瓦ぶきの建物があったことが分かった。
瓦以外に出土品はなく建物や地下室の用途は不明という。
中井均 滋賀県立大教授(日本城郭史)は「出土した瓦の形状から16世紀後半、豊臣政権の威光を示すため、本丸から西の丸まで巨大な城域を持つ山城として造られたとみていい」と話していた。
現地説明会は、10月4日午前9時半から同市鳥居本の近江鉄道鳥居本駅前集合。参加料100円。
西の丸(塩硝櫓)(塩櫓)
切岸下から斜度40°
かもう坂通り往還---旧道を島津家の家門石
同市文化財課TEL0749(26)5833。京都新聞(2015.9.26)
参考資料:彦根市文化財課レジュメ、京都新聞記事、現地説明版