伊賀上忍三家の一つ藤林氏の居城
お城のデータ
所在地: 伊賀市(旧:阿山郡)東湯船字辻ノ内 map:http://yahoo.jp/kK0SVi
現 状:林
区 分:丘陵城
遺 構 :曲輪、土塁、空堀
築城期:室町期
築城者:藤林長門守守
城 主:藤林長門守
標 高:250m 比高差:20m
目標地: 正覚寺から、県道51号(蛇行登り道)を東へ約500m
駐車場: 城址前の空地
訪城日:2015.5.8
お城の概要
伊賀上忍三家の一つ、伊賀忍者の頭領藤林長門守の居城だ。
独立丘の頂上部を削平して主郭とし、空堀を隔てて東側に斜面を切り込んだ二の曲輪があり、この曲輪より一段高い所に物見台的な小曲輪を伴う。 また、南側の民家敷地となっているところが三の曲輪となっている。 この三の曲輪が面積も一番広く、藤林氏の居館が置かれ、背後の主郭・二の曲輪が詰城であったと思われる。 曲輪の遺構は、主郭東側に土塁が、二の曲輪北側には切込土塁が良く残っていた。
お城の歴史
藤林長門守城は、室町時代に藤林氏によって築かれた。 藤林氏は、伊賀上忍三家(藤林長門守、服部半蔵、百地丹波)の一つで、伊賀北部湯船郷を支配していた。
藤林長門守について詳細なことが伝わっていないが、武田信玄の軍師山本勘助に忍術を伝授したとも云われている。 また、江戸時代に忍術秘伝書「万川集海」の編者藤林保武は長門守の子孫。
藤林長門守
伊賀流の頭目という立場でありながら記録はほとんど残っておらず、その生涯は謎に包まれている。
第二次天正伊賀の乱では甲賀の多羅尾氏ともに、織田氏の手引きをして生き残ったという説もあれば、織田の軍勢と最後まで戦い抜いた百地丹波と同一人物とする説もある。
『藤林家由緒書』には今川義元に雇われていた際、武田信玄の軍師山本勘助に忍術を教えたという記録が残っている。
長門守の子孫、藤林佐武次保武が今に忍者の姿を伝える貴重な資料と呼ばれる『万川集海』を著している。
また現在、湯船郷には藤林姓が見られることから、これらの氏族は子孫の可能性が高い。
参考資料:伊賀の中世城館・三重の城・Wikipedia
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