第435話. 気になった音楽(27) 山下達郎『Blow』二回目 ~終戦の日に向けて

2020-08-15 03:02:51 | 気になった音楽
湖畔人です。

終戦記念日ですね。

そして先の大戦と言うと、末期の悲劇、特攻隊の事を思い起こします。
前話でも愛する人のために自分を犠牲にする方々の話をしましたが、特攻はその最たるものですね。自分の愛する家族、恋人、故郷に被害が及ばないように、自分の命を使って敵軍に恐怖を植え付けて散って行く役割です。そして、特攻と言うと、自動的に 山下達郎さんの『Blow』を思い出します。今も聴きながらこの文を書いています。何故『Blow』なのか、その理由は、第165話. 気になった音楽(27) 山下達郎『Blow』に書いてありますので、どうぞ、そちらをご覧ください。 

まぁこの時期、大体悲惨な戦争への反省が語られるのですが、確かに悲惨だったのはその通りとして、でも英霊達の奮闘が無ければ、今のようなアジアの世紀と呼ばれるような時代は来なかったはずだし、相変わらず欧米列強がその他の世界を全て隷属化させていた世界、白人がその他の人種を全員奴隷化し、支配していた世界が続いていたはずですね。

その植民地の時代を終わらたのは、明治以降の日本の先達たちの奮闘によるのものであるという点は紛れもない事実です。戦争には負けはしましたが、アジアの国々を植民地支配から解放させるきっかけを作り、世界の歴史の流れを大きく変えたのは紛れもなく我々の先祖達、英霊達なのです。それだけの凄まじい歴史の大転換を果たしたのが、我らの先祖達なのに、そこに触れずそこを讃えず、ただ戦争は悲惨だったすべきじゃなかった、なんて悪口ばかり言うな、と言いたいのです。その自己犠牲によってアジアを開放した歴史的な意義をもっと讃え語れよ、と言いたいのです。
その点がいつも不満です。

ただ、もっとうまく、もっと被害を少なく、同じように植民地支配を終わらせる道は無かったのか?という検証はもっと必要だと思います。その点も不十分かと思います。もっとWhat if、ありえた違った結末についても、もっともっとシミュレーションを重ね、反省と学習が必要です。

そう言う反省は要るけど、戦争自体が悪かった、とか、戦争自体すべきではなかった、なんていう単純な反省は、もう止めるべきです。戦前の日本人は、アジア解放の為、人種差別撤廃の為、正義の為に戦ったのです。今、人種差別が問題になっていますが、世界で初めて人種差別の撤廃を主張したのは我々の先祖、戦前の日本人です。第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、国際連盟の規約に人種差別の撤廃を明記しろと主張したのです。それが我々の先祖であり、その延長線上に先の大戦もあるのです。

であるにも拘らず、戦争自体が悪かった、とか、戦争自体すべきではなかった、なんていう単純な事を言うな、と言いたいのです。その反省の仕方だと、まるで"欧米列強には抗わずにアジア全域が素直に欧米の植民地になった方が良かった。従順な奴隷でいればもっと安全で良かったのに"、と言っているのと同じ事になります。では奴隷国になる事の意味が一体どれ程の不幸を国民にもたらすのか想像出来てんのか?と言いたいのです。簡単に言えば、シベリア抑留の悲惨さをご存知かと思いますが、あのシベリア抑留の苦痛を国民全員が受けそれが日常になる、と言う事です。国を失い、武器を取り上げられ、言語も失い、歴史も書き換えられ、誇りも失い、財産も土地も失う、レイプに暴力に略奪に法の支配が届かない世界がやって来る、と言う事です。半人間、人として見て貰えなくなる。犬猫のようにムチで打たれ、自由も無く、意見も言えず、貧しく、衣食も不十分な極貧の乞食のような生活が待っている、と言う事です。人間以下の扱いです。その体制を転覆させるには相当のゲリラ戦が必要で、相当覆すのは難しいと思われます。きっと何十年間も続く事でしょうね。それが良かったのか?と言いいたいのです。だから、単純に、戦争すべきでなかったとか、そんな単純で無責任で間違った扇動はするな!、勝手な事ばかり言って、知ったかぶりの偽善者め!と言いたくなるのです。

先人達は負けはしたが、戦う姿勢を示す事で、土地も、言語も、歴史も、文化も、国体も保ったのです。何より誇りを保てたのです。その点を理解しろよ、と言いたくなるのです。ただ、被害はもっと減らせたかもしれず、その点はもっと反省すべきだし検証が要ると言っているのです。

国を救った戦う姿勢の中で、最たるものは特攻です。この特攻の捨て身と、ペリュリュー島や硫黄島や沖縄等、南の島々での英霊達の捨て身の奮戦がアメリカ側の考えを改めさせ、本土決戦になると戦争が長引き、想定される米軍の死傷者は100万人を超えると言う統合参謀本部の試算を導き出させ、元々は無条件降伏でしか降伏を受け入れないと主張していたアメリカ政府の態度を軟化させ、条件付き降伏に条件を変えさせたのです。条件付き降伏なら国体は保てるし、国民生活は維持される、だったら、これ以上無駄に国民を死なせずに済む、だったら降伏すべきだ、と昭和天皇は判断し降伏に同意をしたのです。そしてその条件付き降伏のきっかけを作ったのは、紛れもなく特攻隊や南の島々で捨て身で戦った英霊達のお陰です。今の日本があるは、彼らのお陰、と言っても過言ではないのです。だから、彼等への感謝は忘れてはならないのです。

ここからは妄想ですが、特攻の戦士たちは、国を救うために死んで行った方々であり、真の英雄です。でも誰も彼らの名前までは言えません。無名の英雄達です。ですから、今世では日本代表のスポーツ選手に生まれ変わって、スポーツで活躍する事で名を憶えて貰える英雄に生まれ変わっているのではないか?と勝手に思っています。サッカー選手かも知れないし、水泳かも知れないし、柔道かも、野球選手かも、ラグビー選手かもしれませんが、名の知れた国民の英雄になっているのでは?いや、なって欲しいな、と願っています。本田選手も中田英寿も前世特攻隊かも知れません。『Blow』を聴きながらそんな事を妄想する今日この頃です。

では、また。

湖畔人