華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

恐怖症

2009年06月18日 22時18分49秒 | Weblog
私は小説家・林真理子の本が好きだ。特にエッセイ。ほとんどを持っているか読んでいるかしていると思う。あの人の思考回路が自分とダブることが本当によくあって、「わかる、わかるー」とうなずきながら読んでいる。
ところで、そんな彼女のエッセイの中に“階段恐怖症”というのが時々出てくる。要は“階段の昇降”が怖いんだそうな。ご本人が怖いというから怖いんだろうけど、ちょっと眉唾ものやなぁと思っていた。だって、階段の昇降が怖いって想像しにくいし、共感も持ちにくいんやもん。

そんな風にひと様の恐怖症に対していぶかしく思っていた矢先。

自分にもあった。

おそらく他人に理解してもらえない恐怖症。

それは。

“数字恐怖症”。

これは何も数字が怖いということではない。私はとにかく“数を数える”のがとても苦手。前からその特性については自覚していたけど、今日ハッキリ悟った。私は数を数えなければならない環境にあるとストレスを感じる、と。なぜだか知らないけど、「きちんと数えなきゃ!」と思えば思うほど空回りしてきて、そのうち60の次の10の桁がなんだかったか、87の次がなんだったのか、わからなくなってしまうのである。

何度も書くけど工場で働く私。一日の工程が終了すると、その日やった作業の中でいくつロスが出たか、そしてケースや刷毛、箱等の資材はいくつ残っているかを数えなくてはならない。

この時間が本当に苦痛。

私はなんとか数えないで済むように、その時間が来ると段ボールをつぶすとかゴミを出しにいくなど、体力系の仕事を引き受けることで避けてきた。でも今日は、なぜか班長さんから「アナタ、このラベルシール、何枚ロスが出たか数えておいて」とご指名。ロスになったシールはプラスチックのシートに貼り付けられているけど、もちろんロスなので、張り方はぐちゃぐちゃ。整列されているものでさえ数える際にモタモタすんのに、適当に貼られたシールを数えるなんて、そりゃあドキドキもの。

それでも一生懸命数えた。

1回目、124枚。
2回目、123枚。
3回目、125枚。
この時点で私の緊張感はすごく高まっていたと想像してほしい。
4回目、122枚。

そこで班長さんから「アナタ!! まだ数えてんの!!!!」とお叱りの声。

ひぃぃぃぃ~。

でも、そりゃ怒られるわな。超単純作業やもん…。

そして班長さんが見守る中、5回目のカウント。

127枚。

もう私、ダメです…。

そこから「もう一度数えます!」なんてことを言う勇気もなく、結局127枚を申告。今もなおその結果に半信半疑である。

できればこの先、数を数えるという作業を避けるだけ避けて通りたい。そしてなんなら“数字恐怖症”の存在の認知にも、今後力を注いでいきたいぐらいだ。
ただひとつ言い訳をさせてもらえれば、昔からこんな私ではなかった。数を数える以外に、実は加減乗除(特に加減)も苦手なんだけど、これは前職にゆかりのある、演歌界特有のデビュー年数の数え方に起因すると信じている。その話は機会があればまたいずれ。

そんなわけだから、心ある皆様、私になるべく数を数えさせないでください。どうぞよろしく。

林真理子さんが階段を昇降するときもきっとすごーく怖いんだろうと、今なら分かる。
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ボヤッキー

2009年06月18日 00時44分22秒 | Weblog
今日は少々愚痴なぞ。

私の働く工場では、もちろんいい人もたーくさんいるが、同時に「シンジラレナーイ」と目をパチクリしてしまうほどナゾな人もいる。

中でも気になるのは、相手を完膚無きまで責める人。

例えば。
教えてもらっていないことを「なんで知らんのよ!!」と怒鳴る。
気をきかせてできる仕事をしたら「余計なことせんといて!!」と怒鳴る。
言われたこと以外しなかったら「周り見て自分で仕事見つけーよ!!」と怒鳴る。
その日初めて犯したミスを見つけられたら「何回言ったらわかるんよ!!」と、さも何度も間違えたかのように怒鳴る。

など。

それが一人や二人ではないあたりがすごい。

私はこれまで、アルバイトも含め、大勢の人に会う職業についてきたけど、まず“怒鳴る人”というのにそんなに遭遇したことがない(しかも若干理不尽な理由で)。時に“怒鳴る”という行為は効果的かもしれないが、こう日常茶飯事に起きていては、その人のストレス解消にしか聞こえないから不思議。今となっては「怒る理由はなんでもいいんやろな。たとえば今日の天気が晴れなれば“なんで晴れてんのよー!!”って怒るんやろうな」と思うように。要は、肝心な思いは全然相手の心に届かず、それどころか「また何か吠えてんで」ぐらいにしか思われないってこと。

今日の話でいえば。
あるベルトコンベアーでクリームの箱詰めをしていた。その箱の素材が硬いため閉じるのが難しく、コンベアーの上にはたくさんの箱詰めされていないクリームが並べられていた。そんなときに「10分間休憩に行こう」ということになり、他で作業していた人たちはそれぞれ自分の持ち場を片づけていた。私の場所は散らかってなかったので、皆が片付けている間、積み上げられていたクリームを箱詰めする作業を手伝っていた。そんなときAさんは散らかっている段ボールをつぶしていた。それを見つけたBさん。突然Aさんに向かって

「アンタ!! それ今やること!? 周り見ーな!! こんなにクリーム積み上がってるやん!! そんないつでもできること今せんと、こっち手伝うのが普通ちゃうん!? ほんまーいい加減にしーや!!」

さらに言う。

「Aさんもそろそろ下に教えることができるぐらいここで働いてるんやろ? こんなこともわからんでどうするんよ!!」

入社2カ月目の私でもわかる。Aさんは至極普通の片づけをしていた。確かにクリームは積み上がっていたけど、休憩後も同じ作業をするのでその時点で片づけてしまう必要はなかったはず。また、Bさんを含めた元々2人の作業員に加え、私も手伝っていたので作業は順調に進んでおり、逆にAさんが来られても場所がなくてマゴマゴしただけだったのではないかと思う。

それを上記の言い草。

相手の立場や状況を考えず、言いたいことだけ大声で言い放つ。

なかなかできるワザではない。

当然Aさんは気分が悪いだろうけど、聞いてる周囲の人間も相当気分が悪い。Bさんの言ったことが100歩ゆずって正論だったとして、ほかに言い方はなかったのだろうか?と思う。例えば「こっち先手伝ってー」とかさ。仕事の場、ましてや上司・先輩からの言葉が感情的だったら下の者の心がついていくわけがない。

かのアンドレもバスティーユ牢獄攻撃の際、オスカルに向かって「武官は感情で行動するもんじゃない」と言っていたではないか。

こういう場面に遭遇するたび、かつて上司だったこともある私はどうだっただろう?などと考える。また、私がいまここで上司ならなんて言うだろう?とも。
何はともあれ、“怒鳴られる(それも若干理不尽な理由で)”環境に身を置くとぼやきも出てしまうもの。反面教師で学ぶべきこともあるけど、やられっぱなしではストレスも溜まる一方。

明日は何もないといいなぁ。
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