華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

阪神淡路大震災に寄せて

2025年01月18日 09時12分01秒 | Weblog
昨日、阪神淡路大震災から30年が経った。
私は神戸市の隣に住んでいて、ライフラインも違ったため電気、ガス、水道の復旧が早く、被害が直撃した地域よりはかなりマシな環境にいた。
それでも何もなかったわけではない。
当時、旅行会社を経営していた父は、電車が長い間動かなかったため、真冬に実家から神戸までスクーターで1時間以上かけて通い、社員を食べさせるために必死でプランを組んで客を集め、なんとか会社を回していた。でもその影響で父は疲れ切っており、家の中はギスギス。
大学3年生だった私は私で、おそらく今思うと軽くうつ状態に入っていて、何のやる気もなく毎日を過ごしていた。現実を見られなかったんだと思う。スーパーでは買い占めが始まっており、バイト先のスーパーもご多分にもれず忙しそうだった。だけどシフトにも入らず、文字通り眠っていた。

大学後期の必須科目の論文をなんとか仕上げたこと。就職活動をほとんどしなかったこと(結果ブラック企業で就職した)。西宮を超したら大阪には何の影響もなくて、神戸にも関心がなくて良くも悪くも驚いたこと。奥田民生の「愛のために」がヒットしてて、そんな呑気な歌うたうなや!と心の中で八つ当たりをしたこと。覚えているのはそれぐらい。あとは正直なところ考えたくも、思い出したくもない。家が倒壊した人、家族を失った人、日常生活を送れなくなった人。いろんな人の怒り、苦しみ、悲しみに間近で触れて、それらが辛くて正視できなかった。
今もそれは変わっていない。日本では各地で自然災害の被害が出ている。オーストラリアでも水害と山火事が定期的に起こる。気の毒に思うだけで正視できない。

30年経って、神戸の震災はもう過去と言えるんだと思う。実際神戸の街は美しく建て直された。悲しくても前に進まなくてはいけないのは事実なので、そういう方向でいいと思う。ただ被害の末端にいた私でもいまだにこんな気持ちでいる。だから30年ということを大々的に前に出して、被害のど真ん中にいた人たちの気持ちを無かったことにしなければいいなと思う。所詮30年なんていうのは数字でしかないから。

ちなみに、当時京都で大学生をしていた兄は休学して留学中だった。何も知らずに授業を受けていると先生に呼び出され、地震のことを告げられたらしい。テレビで三宮センター街がグチャグチャになっているのを見てショックを受けたとあとになって話していた。そりゃそうやろう。私ならパニックを起こしていたに違いない。先にも書いたようにライフラインが神戸とは違ったためか電話も早くからつながり、すぐに我が家の安全が確認できたはず。でもそれもあんまり覚えてないや。

この先も災害は起きる。対策をきっちりしとかないと…と思いつつ何もしていない。安全ボケやな。ちゃんとしよ。
今日も普通にやってくる日常に感謝。
コメント (2)

出会いと別れ

2025年01月18日 08時29分40秒 | Weblog
昨日は養護施設で初勤務。
とはいっても先輩にひっついて回るバディシフト。何をしたらいいかもわからないので、先輩方がやっていることを眺め、自分でできそうなことをやって過ごした。緊張していなかったわけではないし、早起きだったので、あまりにもすることがなくて眠気と戦うのが一番大変だったわ。
最初っから批判的なことを書く私も性格悪いけど、“教える“っていうことに慣れてないんやろうなと感じる先輩たちで、あれやってこれやってとは言うけどそれがなぜなのかは教えてくれない。それもピンポイントで言ってくるので流れもわからない。だから作業としてしか覚えられない。なぜ?と聞いても曖昧な返事しか返ってこない。
あと通常業務をこなすのに集中していて私のことは結構放ったらかし。いや、ジーと座ってるだけなんですけど。だから勝手に「あれやっていいですか?」「これやっていいですか?」と聞いて動いていた。
将来自分に誰かを教える機会がきたら、なぜ必要なのかをちゃんと含めるようにしようと改めて思った。
先輩方ふたりは「今日は忙しいねー」と言っていた。正直「これで⁉︎?」と思った。でも私にはわからない、病院とは違う忙しさがあるんやろうな。こちらでの業務に慣れたら同じように思うんやろう。

とりあえず初日終了。来週病院で夜勤が入ってる関係もあり、次の養護施設への出社は再来週。業務に慣れるまで時間かかるやろなー。

帰宅。
夜はリハビリ病棟が開いてくれる送別会。その前に眠りしたらアラームを止めたみたいで、目覚めたのはパーティ開始の30分前。急いで準備して行ってきた。当然遅刻したけど、私より後に来た人の方が多かったわ。
パーティは病院近くのパブレストランで。久しぶりに会う人たちのはずなんだけど、さすがに7年も一緒に働いていたら時間があまり気にならず、最初から普通に話すことができた。

師長(右端)と午前のインチャージ(中)。


半数ぐらい帰っちゃったあとで撮った集合写真。


この手の集まりには滅多に顔を出さない師長も来てくれて楽しい時間を過ごさせてもらった。ありがたい話やわ。
リハビリ病棟に戻らなかった理由はいくつもあるけど、そのうちのひとつは怠け者の多さ。あのストレスは本当に言い表し難い。でもそれを除けば私は一緒に働く人たちに基本恵まれている。ありがたい話や。感謝せねば。
この先週4勤務になることもあり、時間に余裕ができる。体力が許すならばリハ病棟でもシフトをピックアップしようと思っているので、これが別れにはならないとは思っている。

三日間しか休んでないのに、毎日誰かに会ってインプットが多かったせいか、病院に長らく行ってない気がする。
週末は午後シフト。来週は夜勤。続く日常に感謝して頑張ってこよ。
コメント (2)