チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 275

2020年01月05日 09時53分01秒 | 日記

あけましておめでとうございます

ブログの初日

「お正月は晴れ着」という感覚がなくなったのはいつのころだろうか

コンビニができ、デパートの2日か営業という消費の簡単さからお正月は日常の延長になってしまった

それはそれでいいという考え方もある。しかし日本は「晴れとケ(漢字に転換できない)」という考え方があり、ケは日常、晴れは

非日常という区別をしていて衣食住それぞれ晴れ用、ケ用と分けていた

これが合理的ではないという考え方が多勢を占め晴れの衣食住は影が薄くなっている

日本人が考える「晴れ」にはすべて神様が存在する。人と祝うというより神様に報告する、神様に伝える、神様とともに喜ぶという考え方で、常に人のいる所神様が同席し一緒に考え一緒に楽しみ一緒に喜ぶ

このお正月に感じたことはドライブをしていて、自動車にしめ飾りがついていないということ。各家庭の玄関に門松などない、お節料理もほとんど作る人がいなくなった。おもちも杵で衝くなんてことはまれ

毎年新潟の六日町にある旅館「りゅうごん」から杵つき餅をいただくが本当においしい。今はもうありがたさで胸いっぱいになる

 

勿論晴れ着を着ている人も稀、今や着物を着るということが晴着なのかもしれないと思ってしまう

除夜の鐘が響き渡ると初詣に出かけるのが我が家の習慣で、しかも初もうでの神社は遠くて山の上にあり、幼い私は兄や姉たちの背中を借りてぬくぬくしているが、。姉兄は大変。帰宅すると新しい下着を枕のそばにおいて休み、新年を迎える。

姉たちは訪問着、父と母は紋付、兄は制服を着て朝食を囲み、元旦は家族だけで過ごしていた。

二日もみんな晴れ着、年始客も晴着、子供たちも晴着で百人一首、男の子は凧揚げやコマ回し女の子は羽根つきなどなどお正月の遊びは華やかで、顔に墨がついたりのにぎにぎしい

母たちはずっとご接待、このころの主婦は忙しい。割烹年着をもってくる年始客もいては母たちを手伝う

 

いまから20年くらいまでは我が家でもお正月は大入りで百人一首やマージャンなどで大賑わいだった

お正月の過ごし方が変わってくると晴着もなくなってくる

戻す必要があるのかこのまま晴れ着のお正月はなくなっていくのか時代の流れはどういう道を作るのだろうか

コメント
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