蚕について調べていくと蚕は全ての生物の基本になっていることがわかる
今日も研究所に行って私自身の疑問を色々とぶっつけてきた
一番の疑問は「本当に日本の絹はいいの?」という事
「いいとか悪いとか何を基準にして決めるの?」
「いいと言うことは何に対して良いの?」
研究者は「中谷さんは何を基準に糸の判断をするんですか?」
チャコちゃん先生は決まっているー微動だにしない(威張るんではない!)
「私は着物にして着てどうか?と一点しかないですよ」
着るもの、下着なのか、帯なのか、着物なのか、羽織なのか、裏地なのか、長襦袢なのか、腰ひもなのか
はたまた夏着るのか、冬着るのか、春?秋?
礼装に、普段着に、旅用に
以上のような事を考え布を決める。今までそうやってきた
昔の人はそれがあたり前で、糸を布を楽しんできたーそのため目的に合った装いが美しかった。そう、すべては過去になっている
蚕の受難は明治維新からだということになり、交配種を作った大先生の話が永遠続く、だからどうなの?と思いながら、話の途中でそれを布にしたらどうなったのかとしつこい。
しかし460種の在来種を永遠に育て保存しているという話には感動。そのうち200種類は全く交配もしていない 原種だそうだ。今年の春はその現場も見せていただくことになり、何となくウキウキ感がじわっとくる。
こうやって静かに原種や在来種を保存している方々がいる一方、洗えるし気兼ね無いし、雨にも安心だから、ポリの着物がいいわよーという人も多く、何を守り育てることが大事なのか、時々見失いそうな時がある
そういう時、絹の布に包まれている自分自身の、穏やかな気持ちこそ、次の世代につなげて行くものだと悟る。
政治家たちも全身絹を纏うと、もう少し「利他の心」が芽生えるのではないかと、帰りの電車の窓に映る自分自身の顔に言い聞かせた
そうそう
行きの電車で四人がけの座席に座ろうとしたら、横からいきなり傘が飛んできて、ババババと四人の中国人女性が座った。その見事な席取り連係プレイに見惚れているうつけのチャコちゃん先生立ち往生。遠くでその様子を見ていた日本女性、「オクさんこちらあきますよ次の駅で私降りますのでどうぞ」
その方も着物を着ていらした