「きものという農業」三五館
という本をチャコちゃん先生が出版したのは2007年、今から15年前
その当時すでに養蚕農家が2000軒を切っていたが、今ではその10分の一しか残っていない
しかもそのほとんどの農家は蚕の食事は初めのうちは人工食である
桑の葉の粉末、トーモロコシの粉末その他蛋白質を含んだ植物の粉末で三令までそだてる。形は羊羹風(栄養学的には満点だそうな)
蚕は食べて寝て脱皮して大きくなる
孵化して一回脱皮して一令、つまり五回脱皮して五令となって糸を吐き繭を作る
この「きものという農業」を書いていたころの取材では、多くの養蚕農家は種(蚕の場合卵とは言わない)を「種や」から購入し、種が来る日までに蚕室を消毒して(ホルマリンとか石灰を使う)種を迎え入れていた
蚕は「菌」に弱く三令までは気が抜けない
それで生の桑の葉を食べさせるより人口の物の方が衛生的だという考えもわからぬではない
種を受け取ったの農家は、桑の葉をみじん切りにして蚕に与える
そうすると孵化した蚕は続々と桑の葉に群がる
大体20万とか30万という種の数、大きな養蚕農家はそれ以上の数になる
ウニがはいているあの箱に2万粒の種が入る
蚕が三令になると蚕室からもっと大きい養蚕室に移され、桑の葉も小枝ごと与えられる
人工食から桑の葉に戻った蚕は喜びを全身にみなぎらせてワシワシと食む姿が愛しい。嬉しいのだろうなあと思う
人間の都合で養育方法が時代とっともに変わったけど、蚕の一生は自ら変化させてはいない。桑の葉を食し、大きくなって糸を吐く
日本の絹がもてはやされたのはその育て方にあった
それは「和棉」にも言える
日本の土はミネラルが多く土のエネルギーが強い、その為日本で育てる棉には虫がつかなかない
一時和綿の生産は絶えていたが、今は亡き田畑健さんが和棉を千葉の鴨川で育て日本の和綿の復活の狼煙を上げた
明治時代は和棉の種をも輸出するほどの生産量だった日本、昭和・平成で何もかも失ってしまった先人たちの知恵を令和で一気に取り戻し進化させたい
本日の「チャコちゅうぶ」はそのような話をいたします 20時から