衣食住
いつもなぜ衣が一番先に来るのだろうか?と考えていた
この中で、多くの方が「食が一番大事、食べ物無かったら人は死んでしまう」
と思っている
その通りで、食べるものがなければ餓死するだろう
しかしもっと人間にとって必要なものが「衣」であると思う
裸で生活できるだろうか
大雪の中裸で一時間もいたら凍死してしまうであろう
その為に神代の時代から「衣」は神事としても大切にされていた
一昨日暮れ行く富士山の姿を新幹線での中から眺めていた
品川を出るともう富士山の姿がくっきりと目の前に現れる。三島の駅を過ぎるまで富士山を見つめていた
富士山はだんだん雲の衣を頭にかぶったり、顔を覆ったりしながら、三島に近づくと肩のあたりを包んだ
そのとき相似形の長い裾野が実にのびやかに姿を現した、富士山はこの裾野が美しい姿をささえているのだなあ、と見とれていたら、富士山の胸に巻いた白い布の雲と雪を頂いた顔が「尼僧」に見えてきた
思わず手を合わせてしまったが、富士山の裸の姿も形が美しいが、衣を羽織った富士山の姿はさらに神々しい、静岡から着る富士山は女、山梨から見る富士山は男と聞いたことが在るが、それはすそ野の広がりの違いなのだろうなあ、と勝手に思いながら見えなくなった富士山を胸にしまった
そして我田引水よろしく「やっぱり衣だよな」とつぶやく
人の姿もこの富士山のように「衣」の表現一つでその人の内面が覗く
あの富士山の姿はまさしく「慈愛」の姿だ、裸の富士山からは感じられない女性性のエネルギーだった
そうすると「衣」とは自分の内面の表現が如実に現れてよしとするものだ
形を追うのではなくどう自分を表現するが「衣」の命、そういえば生意気盛りに、カーライルの「衣服の哲学」を読んで「衣服はその人の象徴である」という言葉が心に残ったので、衣をかなり重要視してきたけど、日本人は言葉の中に「衣食住」衣を先に入れていることにいまさら驚く
この三つは人に生きる基本だがその中で順位をつけていることが凄い
住のない都庁舎の路上で過ごしているおじさんたちも、やはり衣は第一に考えて過ごしているようだ