きちんとしたおせちを作らなくなって10年になる
もう作り方も忘れた感じ
お重もねむったまま
デパートに行くといろんな料亭のおせちが販売されている
素人が作るよりはるかにきれい
いろんな材料を購入する手間と時間、そして値段を考えると
出来あいのおせちは便利で安価かもしれない
しかし手を出す気にはならない
自分で作る味の方が自分の口に合っている
年ねん味は実母の味になっていく
お重の飾りも実家風
いまおもうと姑は本当にできたかただと尊敬する
味や盛り付けで何一つ苦情が出なかった
「綺麗ね、おいしいね、比佐子さん料理上手ね」
その当時は「これって褒めて働かされているんだわ」
と勘繰ったりもしていたが、あえてご自分の味を押し付けなかったのは見事というしかない
だからこそ、母の味を今も繋げているのだ
賢い姑だったということであろうか
良く嫁と姑の争いを面白おかしく小説にしたりドラマにするけど
実際には仲良く暮らしてる家庭の方が多かったのではないかと思う
とくに「味」については双方譲り合って作り上げていくというが私達の年代にはよく見受けられた
それはそれぞれの家庭の母親がどう過ごしているかということかもしれない
教育ではなく母の姿そのものが学びの背中だったように思う
こうやって「おせち」を思ったり年末行事を行ったりしていると、明らかに敗戦後の日本はゆがめられていると痛感する
それは「食」に強く感じる
家で作ると食の旬がわかり、彩の揃え方なども学べる、それぞれの味の違いで舌も肥える
やはり家族でおせち料理を作り、お重に飾っていく過程を子供と共に楽しむことが必要かな?
久しぶりに作ってみるか