チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

輪島塗の市中祐佳さん

2024年01月08日 11時10分49秒 | 日記
ついに行方不明確認名簿に市中ご夫妻の名が載る
ずっと連絡が付かないでいた
ただただご無事でいてほしい、心折れる

市中さんにお会いしたのはまだお互いに40代だったと思う
そのころすでに日展の審査員に名を連ねていらした
そういう方とは露知らず、あちこちのパーテイでいただいた一合升、それと新幹線のお弁当に「大人の休日」という木製の弁当箱のものがありその形がシンプルで気に入っていて、その二つを持って訪ね
「市中さんの古代朱を塗ってください」
「えっ!いいですよ」とニヤッと笑う顔を今でも思い浮かべることができる
チャ子ちゃん先生を連れて行ってくださった能州紬の鶴見専務の顔が赤らんだ

出来上がったという連絡をいただき輪島へ
その時は輪島塗に詳しい方から
「市中先生は日展の審査員をなさっているえらい方です、さすがにお目が高い」などといわれ、そこで始めて自分のとった行動にあきれ果ててるチャ子ちゃん先生

有名な輪島朝市の真ん中あたりに店を構える「市中屋本店」に、その日は恐縮した態度でしずしず入り
「なんということをお願いしたのかもう本当に申し訳ありません」
「いやー面白かったですよ初めての仕事でしたからね」

親しくなって聞いたら、私があまりにも無邪気に「これに古代朱を塗ってくださったら本当に美しいものができるわ」と古代朱の美しさを信じた態度に気おされてしまった!とかかかとわらって日本酒をおいしそうに飲まれる顔も忘れ難い

その後は一気に仲良くなり、能州紬の仕事で門前町に行くたびに輪島に一泊して、輪島塗のことをいろいろ教えていただいた
輪島塗は日本漆を使う、更に古代朱はもう先祖から脈々と受け継がれた漆で、この先其の材料がどうなるかはわからない、塗りの現場を見せていただくうち、私がお願いした初期の注文がなんと失礼にあたることかを思い知った

無知の怖さ、恥ずかしさ
ある時は今は亡き大内順子さんと輪島に行き市中さんと一献を傾けた。その時大内さんが、一人盆が30脚欲しい、と、作るには日にちもかかり大変な金額になる、それではねと市中さん
「いいところにお連れしましょう」
と行った先が輪島の骨董費やさん、ここだったら数もそろうし値段も手ごろ
ということで私たちはあれこれ選び、ちょうど寺を閉めたところから出てきた一人盆見つけ選別に入る

そこは塗りのプロ市中さんが手早く選びしかも値段の交渉まで
その店の親父さん
「あんたらすごいよ、こんな偉い人連れてくるんだもの敵わないよ」と苦笑

その後私は古代朱に取りつかれ、棗、茶碗、文箱、書類入れ、お盆、小盆、湯飲みなどなどせっせと作って、修理して頂いたりして、輪島に行ってはいろんな話に花を咲かせていた

「あの書類入れやはりつまみが欲しいの」
「いいですよいつでも送ってください」
「持っていきます。お花見ができるころ」
「いいですねえ」

この会話が11月の末だった
生きていてほしい!花見で一献市中さ―――ン

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