ある著名な作家?が超有名な夫人一家と久しぶりに食事をしたのだそうだ
それは結構なこと
そして一族の記念写真を公表していた
その時の様子を解説していたが
「息子さんが私の方に傾いている、これにはドラマがあり、私が重い荷物を持っていて、ちょっとよろめいたので、腰を支えてくれていた時のショット、優しい息子さんだと思った。いい家族」
そうかなあ
老人が重い荷物を持っているのなら、最初から持って差し上げればいい、腰を支えてくれたから優しいなんて、あんた違うよ。とすぐメールをしようと思ったが(この方が若い時から知っているので)やめておいた
そういう表向きの優しさを良しとするお人なのだな、そうだったんだ!とやり過ごすチャ子ちゃん先生
「何か違う」
という感覚を持ちつつ付き合うことが多いのが今の日本人
昭和50年代までは、人ごみの中で肩が触れたりすると「ごめんなさい、失礼」という言葉が発しられ、それが出ないと「ごめんなさいという言葉を知らないのか」と大人にどやされた
また満員電車に乗っていて、出口に急ごうとする人が「失礼します降りますのでごめんなさい、ありがとうございます」と言って道を快く空けてもらっていたが、今は黙って無理無理通ろうとする人が多く、多いというよりほとんどで、日本人がみんな無口になってしまった
重い荷物を持っていれば、「手伝いましょう」の言葉がすぐ出ていた
女同士でも若い方が年上の婦人の荷物を当たり前のように持って手伝っていた。そこで二言三言の日常の言葉が交わされ、なごんだものである
唖になった日本人がスマホの画面だけがわが人生のように無機質な人間になっていくのが見るに忍びない
日本人を取り戻したい、痛切に思った老作家の文章だった
本日の「チャコちゅーぶ」20時から
チャコちゅーぶで入れます
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