歩き始めた幼児が靴を履いて公園をママと散歩
歩けることがうれしい
ただそれがうれしい。高揚した気持ちがこちらにも伝わってくる
そしてふと気が付いたら
右足を上げると右手も上がる。つまりなんば歩きをしているのだ!
尻もちを搗く
思わず「ああー」と出たこちらの声にこたえて「にっ」と笑う。歯の見えない口元がなんともかわいい
先日田んぼの畔道で出会った老婦人の笑い顔と一緒だなあ
「ご精が出ますね」
「いやー」と笑った口元には歯が見えずそれがかえって愛しいと思えた
老いるとということは生まれた姿に戻っていく
幼子とママの歩調は合わない
低い目線で花や道路の砂などを見ていて、何もかもが生まれて初めて目に映るのだから不思議で仕方がない
しゃがんで指さす
「なーに?」
5ミリくらいの虫の屍、瑠璃色に光っている。蟲の名前はわからない、光っていて美しいので目に留まる
「美しい色が好きなのね?」
と話しかけると、頷いて立ち上がり、またぴょこたんぴょこたんと足を交互にあげて歩く、まるで自分の舞台を歩いているように、歩くことに集中
その姿を見てママと笑い合う
あの子の目線で見て見ると、すべての物が大きくさらに息をしていることもわかる。大人の目線は「見下ろす」幼子の視線は「見上げる」そこには見えるものの本質が違ってくる。
一二三神事には「生まれ赤子の心になって」という文言がよく出てくるが、私はいつの間にか大人視線でしかものを見ていなかったなあ、と幼子に教えられる。いろんな自分の時代の視線をもう一度振り返ってみるのも必要だなあと思いながら公園を歩く
今日は台風模様
台風は海を底から混ぜ返して、海に新しい命を与えてくれるのだそうだ。台風の多い日本は常に命が再生されている、まさしく常に生まれ赤子の心に戻れるのが日本人なのだなあ
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