日本中が「マスク」を中心に集団の中の個人を生きている
集団から外れたときの怖さを考えているのだと思うが
「個人の中の集団」
に切り替えないと苦しい
集団の中の個人という感覚は本来日本人の魂の中にはない
日本人はいつからこういう人種になったのだろう
歴史を振り返ると「明治からだよね」
チャ子ちゃん先生いつも不思議に思っているのは
あの明治維新でちょんまげからすぐ断髪して洋髪に
強固なお城だって数年で明け渡して、町は洋風建築
なんば歩きをしてた人達が「おいっちにおいっちに」と左右交互に歩くようになった。そして陸軍海軍の団体統一生活
小学校の時「いっちにいっちに」と運動場を行進させられた。足並みがそろっていないと軍服着た兵隊さんが鞭を打って強制していた、「いっちに」という掛け声は「一致に」ということだったのだと今わかる
明治時代から脈々と「集団の中の個人」に育てられ、今や集団マスク、集団液体で大成功を収めている
「個人の中の集団」というのは各々が自分らしい個性をいかしながら、集団を作り、みんなでその集団を高め合っていく、武士は個人個人で競い合う集団だった。志が同じでない限り集団にはなれなかったのだ
野良猫を数年観察したことが在る
野良猫はトップを決めるとき強さと優しさを求める、だから命を懸けてお互いにトップの座を争う
トップが決まるとそのトップと志が合わないネコは去っていく、残った猫たちは7匹が指導部になり、ねぐらである公園の見回りをし、その結果報告をトップに告げる、その時の会議が一時間くらい、それぞれテレパシーで行われているので、いろんな姿態でいるのも自由
みんなあちこちに散らばり、人に甘えて餌をねだったり、カラスを脅して餌を奪ったりそれぞれ持ち味を生かしながら集団生活をしている
トップ猫はすべての猫が餌を食べた後に自分が食べる
自由で開放されそして安全が保たれている
自分自身を強制しない、自由で開放される日々もあなたがが作れる
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