チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

戦争体験 15(戦後)

2021年09月02日 09時01分22秒 | 日記
9月2日本当の終戦はこの日。この戦争体験もひとまず終了
父母と上の姉は関東大震災まで東京に住んでいて、地震後故郷の大分に戻った
父母は二度の社会の転換期を過ごしていたのであのように落ち着いて子供たちを守ることが出来たのかもしれない。どんな境遇にいてもそこで精いっぱい喜びを見つけて過ごす両親を心から尊敬する

父はこの東京生活で「内村鑑三」先生の弟子になり、聖書の勉強をしていた。偶像を拝しない、教会を作らないという無教会の集まりで幕屋で聖書研究をする

その父は戦前から大分市の隣、別府に事務所を構えていて、別府は焼け残りその場所を「別府集会」として昭和21年から毎日曜日集会を始めた。82歳で死ぬまで続いた。学校の先生や公務員、主婦などが集まり、窓からのぞく戦災孤児たちを温泉に連れて行ったりしていたらしい。のちにその戦災孤児が大分大学まで進み、教職員組合に就職して、別府集会の世話係となっていた

父は子供たちに強制はしないので私は気が向いたら行って、讃美歌の伴奏役を務めていた
姉は父に殴られたその週から聖書研究の人となり欠かさず出席していた。この無教会のグループは各地横の連絡が密なので、しばらくしたら姉の結婚相手も決まり、集会にいらしていた富豪のお宅で結婚式が行われた。着物にチュールをかぶった和洋折衷が面白かった。集会に集まる人が増え事務所は手狭になり、その富豪のお宅が幕屋となった。内湯に温泉も引いているのでそれが一番の魅力で、私も時々父についていって伴奏を受け持ったので、讃美歌には詳しくなった

姉の婚家先の姑も茶道の師匠で姉はすぐ若先生として姑のお役に立ち、夫とともに聖書集会を開き、茶道を教えるという環境で93歳死ぬまで「現場」にいた

下の姉も父の見立て通りお金つくりが上手な夫で不自由はない

問題は我が家の御曹司
戦後の教育改正に全く馴染めず、というより社会のアメリカナイズに不服従。成績もよく父の跡を継ぐべく法科を目指して司法試験もうかりながら、何か納得できず親に内緒で「共産党」に入党 家を出ていった

五年後脱党して一般社会人として生活を始めるが、軍国少年の心の傷は一生治らず、結婚して一子をもうけながらも、父との心の隔たりは埋まらなかったようだ、母はその間に入り見守るという姿勢しかできなかった

社会人になり久しぶりに父の聖書集会に一緒に行き、オルガン弾いての帰り道、「ヒサちゃんが男の子だったらな」とぽつりとつぶやいた言葉に、兄に対する無念さが伝わってきた

その兄が両親の最後をみとってくれた。

戦争は戦地で戦う人も残された人もみんなそれぞれ傷を負う
その傷を学びにかえることは並大抵な精神力と知恵が必要。日本人の多くはその知恵を持っていて、社会の転換期をプラスに変えていった。

この度のコロナ戦争も日本人は知恵を出し合って生きて行けるのだろうか

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