チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 431

2021年06月26日 08時35分22秒 | 日記
昨日チャ子ちゃん先生はライブで、大島紬命の藤後一矢さんと対談した
マイクの調子が悪くて不手際なところがあったけど、着物は着て楽しむ、作って楽しむ、仕立てて満足、販売できてうれしい。いろんな人が着物を中心に生きていると思った

藤後さんは大島紬の作り手を絶やさないようにとここ40年がんばっている。その中の一つに、大島紬の白生地で更紗を染めてみたい
絣だけの表現がいずれ厳しくなるという観が働いたのが40年前だそうだ
染をやってみようと思って東京友禅を染めてみたが、南国育ちの感性とはちょっと違う。そこで出会った更紗に心動いた

更紗はインド、タイ、インドネシアとそれぞれ趣向の違うデザインがあり、三つの国の生産場所に赴いてみて、ご自分の感性に合ったのがインドネシアの更紗だったという。一般的には「ジャワ更紗」
インドネシアにはあの大東亜戦争の敗戦の時、その地に2000人の日本兵が残っていた
オランダ領の当時ジャワは、戦争が終わったときオランダの軍が攻めてきた、その時立ち向かったのがスカルノ大統領で、その後ろで戦ったのが残留2000人の日本兵。そしてオランダに打ち勝ち、ジャワは独立できた

その為国名が変わったインドネシアは親日国でもある「日本軍のおかげで国が独立できた」と喜び、それを孫子の代まできちんと伝えている国だ

その国の産業でもある更紗染めは中国寄りの場所での更紗、南の方の更紗と微妙にデザインや色が違うそうだ
その二つの土地に工房を持ち、大島紬の白生地に更紗を染めた
もともとこの国は木綿や自国の洗練されていない絹に染めるという技術であり、大島紬のような撚糸の糸の白生地、まして長尺には染めたことがない。きちんとした染が出来るのに5年かかったという

その間着物の成り立ちや、着物の形、更には行儀作法(裸足で平気で反物の上を歩かせないなど)を伝えた
此処での更紗はすべて植物染料の蝋染、色落ちの防染は国内でおこなう

ち密な更紗が大島紬に新しい風を送っている
人件費が安いから他国で着物を染める、という発想が多い中。本場の染の技術をその地に定着させること、そして大事につないでいこうとする大島紬の蘇生。この二つが共存出来たことが、最もうれしいと藤後さんは言う

しみがつこうが、柄が鮮明に出ようがお構いなしの南国の性、しかし日本はシミ一つついたら生反と言えない。そのはざまの中で考えたのが、先人たちの知恵「切羽目布」つまりはパッチワーク。B反と言われる傷物をつなぎ合わせ、一枚の布にして帯を作り上げている。これがまた味がある
こうしてインドネシアの伝統と日本の伝統のコラボレーションを誕生させている藤後一矢さん

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