フッ出したと思いだしたことがある
中野裕弓さんがお母さまとの会話の中であの世に行く時のお話をなさっていた
そのとき鮮明に思い出したのがチャ子ちゃん先生があの世に行きそびれたときのこと
まだ小学校に上がる前だったと思う
隣が大きな乾物屋の問屋で広い倉庫がありその裏庭に梅の木があった
そこの次男が私より一つ下の悪ガキで、元気いっぱいで同じくらいの子供たちの先頭に立って遊びの大将だった
その子が
集まった子どもたちに無理やり青梅を食べさせようとしていた
青い梅は決して食べてはいけないと母に言われていたので私は「それ食べたら病気になる」と大声で制したら、それが気に入らないといって私にだけ食べさせた。案の定私は「疫痢」にかかった
だけど何を食べたかも誰といたかも黙秘。親より医者よりその子が怖かったのだろか。高熱を出し、医者も手の施しようもなく、家の裏がお寺だったので住職まで呼んで「その時」に備えていたらしい(これは大きくなって姉たちに聞いた)
当の私はすり鉢のような暗いトンネルに入り、もう苦しくて苦しくて大声を出しても誰も助けに来てくれない、と思ったら明るい光が差しすとんと降りたところがお花畑であった。今思うとポピーの花なのだが赤オレンジ黄色と美しくその花を駆け回って摘んでいたら、背中の方で「ひさちゃーーん」「ヒサコーー」母や姉の声が聞こえ「ああ夕食に此の花持って帰ろう」と思って振り返ったら、布団の上にいてみんなの顔が私を覗いていた。その中に件の悪ガキがわんわん泣いていてびっくりした。
そこまでは鮮明に思い出したがあとのことは全く覚えていない
前に同じような体験をした方とこの話をしたことがあるが私はずっと忘れていた。というより封印していたのかもしれない
「死」というものが今の私の年齢に近くなったけど、今このことを思い出したおかげで「死」を恐れることはない。「死」は新しい出発になるのだと確信する
生きていることに感謝し、そして楽しく幸せに毎日を過ごすことが一番大事なことかもしれないと思う。与えられた命を使い切るために努力しようと思った
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