三月三日 お雛祭りは上巳の節句 三月辰月の初めの巳の日を中国では上巳の節句といったのが日本では桃の節句となった
つまりは
五節句のうちの一つ、五節句は奇数の重なる日と決められている。奇数を陽の数字として力ある日と古代の人は考えた。それで奇数が重なる日をめでたいとしたのだ。5月5日、7月7日、9月9日とと続く
暦関係や五行の教えは隋唐の時代の中国が勝っていて、そこから輸入されている。そして日本風にアレンジされた
面白いことにこの時代に中国の勉強に渡った大和人は一人だけ帰還がかなわなかったが、隋唐から大和に渡ってきた人たちは帰化人っとなってほとんどの人が大和のちに住み着いた。そういして子孫を増やしていった
当時も今も日本という国は住みやすかったのだろう
今回のコロナも中国から渡ってきた、帰ろうとはしないで住み着いている
さて話を戻す
明治5年にいきなり施行された太陽暦では3月3日は必ずしも上巳とは言えない。ちなみに今年の上巳の日は3月26日になる。(関係ないがベートーヴェンが亡くなった日)
ひな祭りは山遊び海遊びが原点。川の土手に生えてきた青い草を踏み旬の生気をいただく、川ぬるんだ水辺で禊をし汚れをはらう「曲水の宴」といって、上流から笹船に酒杯を乗せ次の笹船が来るまでに短歌を詠み飲酒する。これは平安時代に盛んで十二単を着た姫と狩衣を着た公達たちが競って歌詠みをして楽しんでいた。
水にすべてを流す、みそぐ、祈り、日本人って遊びの中にも祈りが入っていることがすごい。この自然の中で、遊びながらも祈りの作法が日本人の本来の姿なのではないかと思う
庶民はこの日「流しびな」としてやはり川に出て若草を踏み雛に自分の着物の端切れを着せて、健康や幸せを祈り、その雛に穢れを取ってもらう祈りをしていた
雛がだんだん装飾的になり段飾りとして嫁ぐ日の夢を雛段に託す風習が定着、今日に至っている
古事記にも出てくる「桃の霊力」桃の花を飾り女の幸せを祈る日
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