チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

おばあちゃんのお役目

2010年05月15日 13時55分09秒 | 日記
ここのところ
「祖母が亡くなったら着物がたくさんあることに気がつき」
箪笥にいっぱいのきものは
人に差し上げる
売る
捨てる
何か別のものを創る
などの選択肢が多々あるが
「とりあえずチャコちゃん先生に見て頂こうとーー」
ときものを持ち込まれる方が増えています

先日は
おばあちゃまが仕立ての途中待ち針を付けたまま
亡くなって
「どうしましょう」
それは夏の黒地琉球絣とても涼しげ

「これを機会にきもので勝負したら?」
何に対しての勝負かーーー
「ええそうします。人生変わるかも」
「きっといいこといっぱいになります」
と言い切るヨシダ

早速着付けレッスン
練習用の小紋もおばあちゃまの着物
「そのきものを自分で着付けて文楽に行きましょう」
めでたく文楽デヴュー
その間にきものも出来上がり
今年は真夏もきもので張り切るーーと

昨日は
こちらも
「着物を縫ってみたくなった」
とカルチャーセンターに通い
単を縫い上げ
着付けレッスン
その単に合わせる帯をコウデイネートして
こちらも文楽で試運転
セキドがお供で嬉しそうな顔が写真に収まっていた

きものを着て歩く
着物姿を人の視線に晒す
そうすると自分自身を客観視できる

いろんな作家の方が皆さんの目に触れさせてください
とご自分の作品を持っていらっしゃる
幸いそういうきものや帯が
嬉しそうに新しい主人を見つけて
チャコちゃん先生の手から旅立っていく

でもつれづれやイヴェントで
必ず着た姿をきちんと見ることが出来るので
嬉しい

おばあチャマのきものを寸法直しをしたり
大島など色をかけたり
紬は裏を表にして仕立て直したり
更にコウデイネートできものが若返ったり

最近持ち込まれる昔きもの
「大人可愛い」
にして進ぜよう
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花がーーー終わり

2010年05月14日 14時45分27秒 | 日記
公園の花水木の花が終わると
木々は緑緑みどり
上から見ても
下から見ても緑一面の世界になった

足元に名の無い草の花が
遠慮がちに咲いているだけ
白や黄色紫の小さな花たち

木々の葉は太陽に照らされて美しい
バスに乗ったら後ろの席のおじさんが
「緑の色がこんなにたくさんあるなんてーー」
とつぶやく

柳色
蓬色
若竹色
青竹色
木賊色
青緑
萌黄色
鶯色
鶸色
常盤色
千歳緑
松葉色
苔色
海松色
白緑色
山葵色
アアどうしよう春の緑を書いていたら
一日が暮れそう

公園にこれだけの緑が重なり合って美しい
明治神宮も、御苑も、浜離宮も、千鳥が淵も
皆さんの近くもこのような景色でしょうねえ

そのほか樹木の色も
唐茶色
阿仙茶色
桧皮色
柿渋色
栗皮色
錆色
樺茶色
団栗色
団十郎茶
焦げ茶
媚茶
樹木も花の色に負けじと個性を出している

緑に囲まれて歩こうぜ
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鎖骨

2010年05月13日 09時38分39秒 | 日記
鎖骨の美しい人は素敵だといつも思う
イヴニングで鎖骨の美は
着る人を優雅に見せる

鎖骨の美しい人は姿がいい
姿が美しいと口跡もいい
顔の表情も明るい
はきはきした物云いが耳に心地よい

また鎖骨が美しいと
きものを着たときの衿合わせに色気がでる

鎖骨を美しくする方法は簡単
・帯を背中で結ぶ
・子供を背中におぶる
つまり手を背中に廻す動作を
常に行うことが大条件

鎖骨の首に近いところが先ず動き
鎖骨の腕に近いところが次に動き
その上で腕が大きく動く
腕を動かすには鎖骨の存在を忘れてはいけない

「おおそうですか」藤本靖先生
チャコちゃん先生が
きものを着て帯を背中で結ぶとき
鎖骨を如何に使っているかを熱く語る

当然胸が開き
呼吸が深くなり
血液の循環がよくなり
いい空気がいつも頭に行けば
何事もクリアな考え方が出来る

「先生きものってすごいでしょう?」
またまた自慢
骨の勉強を教わっているのに
「だからきものと骨の関係はたいしたものでしょう?」
で講義を締めくくる
教えている方ではなく
教わっているチャコちゃん先生がそうやって締める

昔読んだ吉行淳之介の小説に
「鎖骨の綺麗な女を見るとーーーーー」
という文章を思い出した
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公衆電話

2010年05月12日 12時15分43秒 | 日記
昨日は電話電話電話で
約束のミーテイングに遅れそうになり
あまり使わないけど役に立つ
携帯電話を置き忘れ外にでた

一つめ
二つ目が終わり
予定の時間にはオフイスに戻れない
との連絡をしようと思いきや
公衆電話が街から姿を消している

そうだ!
新宿の駅構内にずらりと並んでいた
恵比寿から池袋に移動するのだが
新宿に途中下車

記憶のところに走り寄ると
ない!
あれーー
そうか交番
電話を借りて時間に帰れないことを告げる

それにしても
電車、バスの車中は電話室となっているのにーーだ
だいたい乗客70%の人は
アナウンサーが
「携帯電話はまわりのーーーーー」
という放送をしているのにも関わらず
携帯電話と格闘している

どこの駅もATMとユニクロのコーナーはすぐわかる
しかししかしですよ
公衆電話はなあああんと
暗い隅に二台くらいぽつんと置かれている
しかもよ
やりて婆(アラシツレイ)が着るようなグレイの色
せめて昔みたいに赤い色にしませんかなもし

時代の流れの留まることを知らず
次は何が公衆電話のような仕打ちにあうのだろう
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沖縄のこと

2010年05月10日 14時25分48秒 | 日記
罵声を浴びせられてひたすら謝罪する総理
「ハトヤマがやられている」
とはやし立てている人が多いが
私たちヤマトンチュウが全員で
真摯に受け止めなければならない

初めて沖縄に渡ったときは
まだ沖縄が米軍に占領されていた
1ドル365円だった
ドルは王様

宮古上布ーーあの当時はまだ薩摩上布とよばれていたーー
その上布の取材に飛んだ
プロペラ機だ
丘の上に案内され其処から青い海原を見た
「そのときあの水平線にいっせいに黒い姿が現れたのです」
米軍の軍艦がいっせいに押し寄せてきたのだ

その丘の近くに
人頭税に使われたという石の塔があった
其れは薩摩藩にこの塔以上に背が高くなったら税を払うという石だ

さらにこの宮古で生産される上質な麻布を
「薩摩上布」と呼んで薩摩は売りさばいていた

その当時無知な(今も変わんないけど)チャコちゃん先生
「薩摩上布は知っていても宮古上布は知らない」
と声高に言っていた
宮古に来て恥ずかしかった

薩摩上布は本当は宮古上布だったのだ!
せめてもと思い
それから上布の説明をするときは
必ず宮古上布、宮古上布と書いたり云ったりした

先輩のきもの研究家から苦情が来たが
本当のこといって何が悪いといきまいていた
若かったねえ

ことほどさように
沖縄はずーーーと
ヤマトンチュウ(内地の人たち)の犠牲になっている
それでも
前向きに明るく暮らしているのが沖縄の人たち

美しい海は全て米軍家族に占拠され
音楽や食べ物など
いくばくかのいいこともあったかもしれないが

私たちは心からの感謝と愛を送りたい
素敵な友人がいっぱい居て
沖縄に静かな平和が訪れることを
心から祈る
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平等・公平?

2010年05月07日 10時42分57秒 | 日記
植物の育ち方を見ていると
平等とか公平はない
同じ根で育つ草でも
10センチに伸びるものも
20センチになってしまうものもある

同じ根で一番咲きの薔薇の花
あとはもうすぐ咲くとか
硬い蕾ままとか

これが自然の理というもの
なにもかも平等・公平はありえない
其処が味というもの

皆一緒で無くていい
違いがあっていい
違いがあるのが自然だから

ヨシダがお土産のザッハのタルトを切り分けていて
どうしても大小がでる
「大きいのは体のでかい人に出せばいい」
とセキド

火山の爆発でウイーンに閉じ込められた山田さん
荷物になるのにザッハホテルまで足を運び
このケーキを買って持ってきてくださった
感謝感謝感謝!

オペラ座でリゴッレトを観賞
しかもきもので
もちろん自分で着付けて
写真を見せていただき
「こういう古くて貫禄の或る建物にきものはよく合うのう」
セキドの男言葉

小さいときに日舞をなさっていたので
立ち姿が絵になっている
首の曲げ方たて方も美しい

そういえば
オペラ座でプログラムを売ったりしている
ギャルソンはバレエ団の人が多く
歩き姿の美しさに見とれる

皆で
「いいなあウイーン」
とハモル

足止め食ったすべての人が
平等・公平にネガテヴではなく
その時間を自分の楽しみに使う人は
結果周りの人を喜ばせることになる

この世に平等などありえないぞ
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朝掘り

2010年05月06日 11時20分42秒 | 日記
古河市に住む宮田恵子さんが
白大島を艶やかに着てショッキングピンクのバックを持ち
もう一袋いかにも重そうな荷物を持って現れた

風水おさらい会の個人レッスン

何か大変そう
重い荷物のほうを差し出して
「朝掘りたけのこもって来ましたあ」
受け取ると
「あっ重い」
昨日3本分をしっかりゆがいて扱い易いように切ってーー

最敬礼をして押し頂く
湘南新宿線で一時間かけてーー

恵子さんはいつも振舞っている
本当に頭が下がる
そういえばチャコちゃん先生の周り
恵子さんが5人も居る
みんな恵まれていて恵み上手

「たけのこは毎日水を代えれば一週間間持つから」
それにしてもなんとありがたい

早速セキドが温野菜にして酢味噌のたれをつくり
私たちはパクパクお昼
そういえば高知のユキちゃん
「今年はたけのこ堀が出来なくて凄く残念です」
面白いらしいね
たけのこ掘り

タナカと私は鳥が運んできた雑木の根が蔓延り
うんうん云いながら土を掘って引き抜く
朝掘りだがこっちは根

たけのこご飯
今日はヨシダが挑戦
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別れの曲

2010年05月05日 10時36分39秒 | 日記
カラーの球根を植えていると
ケイ子から携帯に℡
「ねえ映画行かない?」
シャベルも軍手も放り出して恵比寿まで

「何見るの?」
「別れの曲」
「ショパンの?」
「そう」

中学生のとき「楽聖ショパン」
という映画を見て甚く感動し
父兄としか映画に行けぬので両親姉兄引っ張り込んで
5回も観た

トップに出てくる音楽が丁度そのとき練習をしていた
モーツアルトのソナタだったので其れも気に入ったのかもしれない

初恋の人コンスタンテイアにささげた「別れの曲」
軍隊ポロネーズをリストと一緒に連弾するところ
ジョルジュサンドとのマジョリカ島での暮らし
よく覚えている

さてこの映画は1934年に作成されたもので
「楽聖ショパン」よりはるかに古い

コンスタンテイアに贈ったエチュード第3番
日本では其れを「別れの曲」と訳したことをこの映画で知る

パリで成功したショパンを尋ねてきたその夜
ショパンはジョルジュサンドと恋に落ち
マジョリカ島で暮らすことになった
其れを知ったコンスタンテイアは
「最後に私に贈ってくれた曲を弾いてほしい」
と願い
ショパンがピアノに向かって弾き始めると
静かにドアを閉めて去る

だから日本ではこのエチュードが
「別れの曲」と命名されたらしい

実はチャコちゃん先生
いまこの「別れの曲」を声楽で練習中
映画の中でもコンスタンテイアが歌う場面があり
とても参考になった

マジョリカ島は着物にも縁がある
十日町で生まれた「マジョリカお召し」
これは1950年代後半から1960年代に
大流行りしたお召し

マジョリカ島の壷の柄がモチーフになっていて
斬新な銀糸、金糸が織り込まれたお洒落なきもの

この着物を創作した人に取材したところ
映画「楽聖ショパン」の中で
ショパンが島に降る雨だれを見ていて
「雨だれ」というピアノ曲を作曲した頃
サンドとうまく行かず
サンドが癇癪起こして割った壷の柄が印象に残っていた

それでマジョリカという名前を付けたと
話してくれた

のちに銀糸や金糸が織り込まれたのをマジョリカお召し
というようになったようだがーー

「今度は未完成交響曲を見ようね」
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正妻と愛人

2010年05月04日 13時00分15秒 | 日記
正妻の立場のA子
愛人の立場のB子
この二組の相反する立場の知人達
お互いは知りあいではないが
両方の立場を双方から聞くチャコちゃん先生の
アドバイスは?

面白いことに
A組の男は腰を痛め正妻のところにじっとしている
B組は精神をいため愛人の世話になっている

A組は四〇代
男は病院にいくが悪いところを見出せない
腰が使えなくなるのが可笑しいホホホ

夫婦でのお出かけここ一番に
妻はきもの姿で大向こうに印象をつける
美しい人なので凄みが出る
男は妻と別れて愛人と一緒になりたいらしい
素封家なので両方を養うのはわけない

妻は筋目筋目できものを着て
自分の美しさをアピール
男もそういうときはまんざらでもないらしい
しかし
とゆれているが
妻の方は確固たる信念で正妻の座を死守している
法律を信じているのだ

片やBは老人組
起業家の共同経営者として
男は愛人とともに40年
その間正妻は愚痴も言わず
ひたすら資産を作ることに専念大変な金持ちだ

高度成長バブル時代二人の事業は大繁栄
海外旅行、高級ホテルでのパーテイなど
湯水のように華やかに金を使う
そしてここにきて凋落

男は正妻のところに金策に行く
「あなたはずーっと私をほったらかしていました
お金は工面します、しかし今後一切この家の敷居はまたがないでください
しかし離婚はしません」
ここにも法律が顔を見せる

この言葉にショックを受けた男は狂った
狂った男はいらないと正妻、しかし離婚はしない
死んだら自分が葬式を出すとーー

狂った男の面倒を見る愛人
愛人に虐待を始める男

二人の女の間で男は狂うしかない
其れは「恐れ」からだと思う
関わりあいたい気持ちが暴力というネガテイヴなものになる
そういう表現しか出来ない

こういう関係の中で修羅にならない方法はあるか
ある
「自分自身を100%生きればいい」
パートナーは学びの相手だと割り切ればいい
其れができたら
この関係も得がたい経験として楽しい

パートナーを自分のものにすることを
最終目的にするから混乱する

目の前の困った男を優しく愛すればいい
但しそれ以上に自分自身を愛すべしーーーかな

うわーーーエラソッーーーチャコちゃん先生!
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やっぱり女優

2010年05月03日 09時39分46秒 | 日記
「高峰秀子の流儀」斉藤明美著
まれな人種らしいが
チャコちゃん先生は
高峰秀子の出演映画を一本も見ていない
あの有名な石原裕次郎の映画も1ポン

あの頃は
フランス映画に傾倒していて
其ればかり

高嶺秀子さんは結城紬を愛していて
その随筆は読んだことがある
何事にも「きっぱり」と割りきり
自分自身を客観視する知性豊かなお人だと思った

今回の本は
婦人画報に連載されていたものらしい
ひそやかな暮らしを
ジャーナリストの斉藤さんが
甘ったれて書いている

女が女を書くとこういう調子になるのだなあ

斉藤さんは54歳
84歳の高峰さんは
わが子に自分を見せるという感じか

65歳以上のちゃんとした奥様は
斉藤さんが高峰さんに対して驚くような日常を
淡々と送っている
チャコちゃん先生の周りにも
京子さん、康子さん、房子さん照子さんなどなど

高峰秀子はヤハリ女優
自分を通して女の生き方を、老いる生き方を
若いジャーナストの目にうつる其れを楽しんでいるようだ
たいした人

読み終えて
いい結婚が人生の宝と感じた
それはどんな人にもチャンスはある

それと
五〇代の女はは日本を知らないですごしたのだなあ
という感じもある

そういえば
唯一見ていた日本映画小津映画に登場の
あの大女優原節子さんは全く自分を晒さない
そういう女優さんも居る
其れも自己主張

女は皆女優

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