チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

誰もが思うこと

2020年02月14日 09時41分06秒 | 日記

コロナ様の事

普通の日本人がコロナウイルスに感染しおひとり亡くなったというニュース

都内のタクシー運転手さんが感染したということ、ひたひたと身近に近づいてきているコロナさま

このままの状態で果たしてオリンピックなどできるのだろうか?

東京の公共設備は日々新たに便利よくなりつつあるようだが開催までこぎつけるのか?

大体「くそ熱い」(ごめんなさい言葉が乱暴)夏のさなかの東京オリンピックの開催などはなから無謀

しかし誰も声を上げて止めていない みんな心の中では「なんでこの時期に?」という疑問があったはず

 

イロンナ識者の話を漏れ聞くと、わざわざ夏のオリンピックに「仕掛けられた」というきな臭い話もある

そのすべての裏に日本のお金が海外に流出しているという話も聞いた

 

またこのコロナ様はいわゆる人工兵器なのだそうだ。兵器として生れ落ちるとはお気の毒

何がなんだかわけもわからず右往左往するより、ここはひとつ腹に力を入れ肚で考え、肚から行動するという日本人の魂を思い出したいものだ。それには腹をまずきれいにしなければいけない。身土不二、自分の土地でできるものを食べ、旬の食べ物のパワーを信じ、化学処理されたものには口をつけず、日本本来の味噌醤油、豆腐、納豆、海藻、小魚などを主に食し、身を清潔に感謝の毎日を過ごす。ともかく免疫を上げるしかない。10時に休み6時に起きる。今日からでも遅くない、昔のお母さんが知っていた知恵で身を守ることにをしよう

 

自分だけが助かる

そういう思想ではなく「人を助けるためにまず自分自身を安全な場所にいる努力をする」この考え方を持つ限り日本は破壊しない

人に尽くして自分をなおざなりにするのではない。そこを間違えると社会は混乱する

まずわが身を強くすることが大事

 

昔のお母さんの知恵「節約精神」中谷比佐子著

 

#コロナウイルス #チャ子ちゃん先生 #酵素 #肚に落とす #肚で考える #日本の破壊 #東京オリンピック #身土不二 #節約精神

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着物が繋ぐもの 292

2020年02月12日 09時59分38秒 | 日記

昨日は国立小劇場の2月公演「菅原伝授手習鑑」を総勢14人で鑑賞した

始まる前の30分、吉田勘市さんの案内で舞台裏を見せていただきながら、また衣裳部屋や床山を見学して文楽のレクチャーを受けた

文楽を初めて見る人そうではない人も大感激、道具の一つ一つが本物だといって大興奮

開演30分前でぼつぼつお客様も席についているのでと、最後のほうの説明には声を潜める勘市さん。それに倣ってレクチャーを受けている面々もスリッパの音をたてないように気を遣う、こういうところが日本人らしい気働きなのだなあと感心するチャ子ちゃん先生

 

立て役は10キロの重さの人形を遣う、しかも指三本。肩から腕にかけては力をいれるが、肘から手首は全く力を入れないで10キロの人形を持つ、持つだけではなく動かし、仕草をするのだ。自分は指三本だけど、相手の人形は全身を動かす。だから足を動かす人、手を動かす人三位一体の人形遣いなのだと感じ入る

 

チャ子ちゃん先生の文楽歴は長い、ことは自分自身が着物をより美しく着たいので、いろんな着物の着付けを取材していた時「文楽人形の着付けを見てみたい」と思い立ち吉田簑助さんにお願いしたら快く東京公演の前々日から2日間の撮影を快諾してくれた。今から40年近く前のこと

人形遣いは自分の役の人形の着付けは必ず自分自身の手でする。半襟をつける、襟合わせをする、町娘、お姫様、未亡人、若妻、年老いた女

道行の時、祝言の時などなど細かく着付けを変えていく、そこに魂を入れると人形はその役を演じて動き出す。着物のもつ奥深さにこのときばかりは「恐れ入りました」という感じで簑助師匠の針運びに見入った

その後簑助師匠は病を患ったので今では貴重な資料となって私の手元にある

 

「次に生まれても人形遣いになる」という簑助師匠。言葉通り病後からはさらに人形が体の一部になっていて動きの美しさは絶品。これを見逃したくないので毎回舞台を見に行く。いまは弟子の勘市さんにチケットのお世話を頼んでいて、新しく見る方たちのレクチャーもお願いしている。そして時々師匠のお顔を見に楽屋を訪ねると、その時のお役の人形を遣って「こんにちは」とお迎えしてくださる

 

文楽の方々はお行儀がいいし義理堅い

お忙しいと思うので電話は控えメールにしているがいち早くお返事をいただく、おもてなし、お気遣いの大切さを知っているのは、きっと義理人情の情の世界をいつも演じているからであろうか。床本の言葉の美しさにいつも酔いしいれる

次回の東京公演は「義経千本桜」の通し狂言、5月9日から  良いお席準備できます

 

#文楽公演 #吉田簑助 #吉田勘市 #国立小劇場 #文楽人形 #チャ子ちゃん先生 #中谷比佐子

 

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男と女

2020年02月10日 10時41分12秒 | 日記

此処のところ凶事が続き気持ちが沈んでいたので、綺麗で優しいそして温かいものに触れたいと思った。音楽でもなく、明るく賑やかな芝居でもなくーーーと考えを巡らしていたら、先輩のFB に「男と女」の映画を見たという文章を見て「そうだ!それだ!」と勇躍上映映画館を探した。

 

この広い東京たった二軒。嬉しいことに渋谷のルーシネマで上映中、すぐ出かけた

「男と女」の前作は53年前、フランシスレイのスキャット「ダバダバダ」が全世界で流行ったし、主演女優「アヌークエーメ」の圧倒的な美しさに男性諸君は魂を持っていかれた

 

そんなことを思い出しながら急ぐ

監督、主演のお二人、音楽そして全てのスタッフは当時とまったく同じ人々で作り上げたのだと解説書。生憎昨年亡くなったフランシスレイ、しかし彼の音楽は健在だった

 

筋書きは負わない

アヌークエーメの86歳そのものの美しさに惹かれる。フランスを始めヨーロッパの女優達は老いを隠さずきちんと受け止めて気品溢れる姿を見せてくれる

 

体型は崩れている、ヒールのあるくつは履かない、シワもある、顔もたるんでいる。それでいて華やかな美しさを輝かせている

 

背筋を伸ばした歩き方、赤い口紅の効果、目をくっきりと描く、そして堂々とした仕草。自分が生きてきたことへの信頼と自信、思いの深さが会話に出て人を和ませる。

 

相手のジャンルイが「貴方は穏やかだから若く見えるんだね」という言葉にハッとした

 

さあ

今日から原稿書き頑張ろう!

#男と女 #フランシスレイ #アヌークエーメ #チャコちゃん先生 #ル・シネマ #老いを美しく

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葬の話

2020年02月09日 10時58分29秒 | 日記

続けて葬の話

ごくごく親しい人の別れに「枕辺の別れ」という儀式がある

亡くなってすぐお別れに行くので本当に身内、またはごく親しい人に限られる

枕辺の別れはまだ故人が寝具の中にいて顔をを見てお話ができる、家族の話もゆっくり聞ける、そしてともに悲しみともに偲ぶことができる

深い縁のある方が亡くなると縁が続いている人はかならずその時間に間に合う。神様がそのように計らってくれる

 

最近は葬儀場が混んでいてその日までドライアイスにくるまれてやすんでいる姿はなんとも人工的で悲しい

若い時は枕辺の別れが怖くて遠くからお辞儀をして、もっぱらお茶出しのお手伝いをしていたが、長じるにつれてしっかりと故人とお話しができるようになった

昔はと言っても昭和の時代だが、まだリンポハン(この文字が転換できない、死語なんだ‼)と言ってその町の人たちが繰り出して手助けをする習慣があり、そういう大人たちにあれこれ指示を受けて、子供たちは客人へのおもてなしを覚えた、おもてなしは町の長老の女性、葬儀の進行は町の長老の男性と役割が決まっていて、若い者がそういう一つ一つの儀式を体験の中で教わっていく仕組みが、日本国中のリンポハンにあった。その時に采配上手な子供が誕生し、のちに街の采配者と育って行く

お通夜までは自宅で執り行い、告別式はお寺か教会、神社とそれぞれの信仰によって儀式の場所は変わる。町内会の人たちはどんな場所でも臨機応変に行動ができるように過去の長老たちから教育をされているので、すべてがスムーズにいく。こういう場所での高齢者の知恵や知識、体験が大いに役立っていて、お爺さんやお婆さんがにわかに元気に生き生きとする姿が見られた

 

旅立つ者も顔見知りの人たちに送られて、みんなが故人と語り、故人を偲び暖かく送り出す。その方の生きた道程を祝福できる環境づくりができていたのだと思う

告別式は余所行きのような雰囲気で社会的な送り出しとなり荘厳な雰囲気の中で執り行う。この地球から本当に姿を消してしまうのだなという感覚を人々に与える儀式

祝福の中で誕生し、慰労と尊敬の念をもって送られるのが人生であると思う

 

#告別式 #御通夜 #リンポハン #御もてなし #余所行き #采配者 #中谷比佐子 #臨機応変

 

 

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御香典

2020年02月08日 21時28分33秒 | 日記

本日はお通夜

亡くなった方は60前後なので悲しみが深い

今日はそのことではなく御香典について考えてみた

昔から婚のお祝いには喜びなので陽の数字で奇数。葬の場合は割れる数字陰で偶数。と言われていた。しかも新札を二つに折る、又は古いお札にする。ある時香典袋を開けて整理をしていた若い方が

「この人変六千円でお札は古いし、変ねえ」

「作法知らないのよ、お金も半端」

そういえば今では普通は3万円、1万円とか5000円、3000円という数字のよう。地方によっては、3000とか5000円の回避というのもあるらしい

 

お香典というのは、自分の経済範囲内で、少しでも葬儀の出費をお助けしようという気持ちを包むのだから、自分の身の丈に合った数字でいいのだと思う。

 

告別式もすぐ初七日を行ってしまうのがもう当たり前、ゆっくり悲しんでいる暇もなく、都会では時間を区切って葬儀を行うので、喪主たちも参列者にしっかりと挨拶もでききないし、、参列している人もお悔やみをきちんという時間もないということが多い。

冠婚葬祭という人生の筋目の儀式もこれからもっと変わっていくのだろうなあと思いながら、ここのところ続いている葬の事あれこれ考えながら電車に乗っていた

 

いろんな常識が覆されていク時代だ

 

 

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着物が繋ぐもの 291

2020年02月07日 14時42分04秒 | 日記

黒紋付、喪服について

毎年冬になると喪服を着る機会が多くなる

最近は「突然!」という方が多い、特に60を境にした男性、年配の方は長く患いという方が多いので、ご家族も心の準備ができているが、60歳前後の突然死には言葉もない

 

さて着るものの話になるが、葬の儀式は正装なのだが、着物を着ている方はまずいない。今でも印象に残っているのは、著名な着物研究家が突然お風呂で亡くなった。先輩にあたる方なので、お通夜告別式と参加したが、二夜とも黒紋付、いえ着物を着ていたのは喪主のご主人と私だけだった。着付け学校の講師でもあり、着付けの本も出しておられたが、お弟子さんや生徒さんたちは一人も黒紋付はおろか着物を着ていない不思議

 

また黒紋付をはやらせたいという黒染め業界の方たちの集まりにも呼ばれたが、50人ばかりが全部黒紋付という異様さは周りを驚かせることになった。この行事は今でも続けていらっしゃるがお集りの人数も年々増えているらしい

チャ子ちゃん先生は講演者なので、ちょっとあまのじゃく的な考えが強くなり、自分ひとり黒紋付ならいいんでしょう?と黒留め袖で参加、それ以来お招きない

この主催者は「喪服という言葉ではなく黒紋付としてもっと利用したほうがいい」と雑誌で提案したチャ子ちゃん先生の話に動かされたのだとおっしゃった。時々はよきことしてるじゃあないのーーね

 

この発想は女子大を卒業をするとき、私の学校では「卒業式では黒紋付に袴、または黒のスーツを着用」というお知らせがあり、それを読んだ母は大喜び「めでたい時に黒紋付を作れるなんて気の利いた学校だこと」と黒紋付、白長じゅばんをさっそく誂えて、袴と袴下の帯は貸衣装屋さんでそろえた

 

そしてその黒紋付と白長じゅばんは今でも活用。「こういうものはめったに着るものではないから一番いいもので作っておかなければ」と張り切って、黒羽二重は当時の横綱の黒紋付と同じ生地、長じゅばん花嫁用の上等だったと姉が話してくれた。そのため五つ紋は実家の家紋がついている。姑に「うちの家紋はね」と言われたとき、実はと事の成り行きを話したら「なるほどそれはいい話」と快諾してくれた。61年着ていることになる。昨日もこの黒留め袖で参列

 

昔の人の知恵は「モノの命を大事にする」という発想なので、モノがいつまでも生き生きとしている。外国でのぱーていーにも華やかな帯を締め、赤い伊達襟をつけて何度か着た。喝采を浴びた

 

#家紋#留めそで #伊達襟 #黒紋付 #葬儀のきもの #実家の家紋 #チャ子ちゃん先生 #中谷比佐子

 

 

 

 

 

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骨が軋む  波が立つ

2020年02月06日 20時31分30秒 | 日記

今日は骨の軋む音を聞いた

尊敬する大人(だいじん)の告別式に参列。親戚でもないのだが、生き方のお手本を見せてくださった方なので、最後まできちんとご挨拶をしたかった

 

退行催眠などの実験で、肉体は滅びても、魂はみんなと共にいて、自分の肉体との別れを見ている、と言う人が多い

何かそれをすんなり受け入れる自分がいるので、生前仲良くした方や、ご恩を感じている方のお通夜や告別式は何を置いても参列する

また中の良い方の親御さんやお子さんまた連れ合いの方が亡くなった時は、いま生を持って、これからも生き続けなければならないので「応援しますよ」という意味を込めてできるだけ最後まで参列する

ただ最近は初七日まで同じ日になさる家族が多く、直会は遠慮する場合もある

 

着るものはお通夜は筋小紋に紫の帯とか、普通の着物に黒紋付の羽織をきたりするが、告別式は正装、黒喪服

亡くなった方が会場のどこかできっと眺めていると思うので、敬意を表して礼を尽くしたいと思う

宗派によってお焼香の仕方も異なるので、しっかりと係りの方に聞くことにしている。冠婚葬祭の作法は敬う心を現すことなので、我流にはしない

 

さて本日骨の軋みを初めて聞いた

美しい音霊だった、それは骨壺に骨を入れるとき、体格の良い方だったので、先に入れた骨を係りの方が抑えた。その時の音霊。悲しみではなく、「ありがとう」という感謝の音霊に聞こえた。こう言う場面にはたくさん立ち合っているが、こんなに骨の軋みの音が心地よいと感じたのは初めて。思いを残さず、清い生涯だったのだと感じた

 

そういう思いで帰りの高速バスに乗ったら、東京湾の波立の美しさに見惚れた。気持ち良くお見送りできたのだなと実感!

 

そういえばねチャコちゃん先生、お骨箸で持ち上げて落っことしたことあるのよ

それ昔のボーイフレンドの骨だったーーあはは

#告別式 #直会 #チャコちゃん先生 #東京湾 #喪服 #お通夜の着物

 

 

 

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着物が繋ぐもの 290

2020年02月05日 11時31分05秒 | 日記

塩沢お召は新潟の塩沢町で織られている

塩沢と言えば白地黒の小絣をさしていた時代がある

今は塩沢紬としていろんな種類が増えた

着物の仕事を始めた50年前その塩沢お召のポスター作りに参画した

デザイナーはサントリー、オンワード、丸井、伊東屋などのデザインを手掛けている人で美しい仕事ぶりで、その方に認めていただいたことがうれしく、その後ご一緒にオンワードや、メナード、丸井の仕事をさせていただいた。任せたら一切口を挟まない。ただその人の感性を信じていて、プロの仕事させてくれた。それだけに反物選びには緊張をした。反物を並べ、バックの色を決め照明をあれこれ動かす下準備も入念

絣の美しさを徹底的に現地に行って観察しそれを絵にした。チャ子ちゃん先生の仕事はその反物選びであった。出来上がったポスターは広告賞を取った。絣が盛り上がり、生地の縮み具合がよく出ていて、思わず画面に手を触れたくなる親近感が出ていた。

二回目は人に着せようとなった。どんな帯を合わせるかで京都まで二人で出かけ終生のお付き合いとなる帯屋さんを紹介していただいた

そして撮影当日メイク室に入ってきたKデザイナー「ヒサコさん素肌に着せよう」「えっ」「了解とってね」「ハイ」

確かにそのモデルの首から肩にかけての線が非常に美しい、それをちらりと見て「素肌に着せる」となった

「浴衣ではあるまいし」と瞬間思ったが、昔橋本明治画伯の絵に着物を片肌に引っ掛けて恥ずかしそうにしていた少女の絵を思い出し、その話をしたら、「その絵すぐ探してきて」走ったね

そして出来上がったのは、片肌を出した横顔の写真、布は肌触りのよさが感じられて、それでいて羽織った人の品の良さ、正しく日本画の世界だった。デザイナー、カメラマン、スタイリストのの三位一体の仕事はそれからも彼がなくなるまで続いた。

彼が学生時代に応募して合格したという伊東屋のロゴ、今でも使われているけどそのロゴを見るたびに懐かしむ

その時に購入した塩沢お召の小絣、K氏の亡くなった今頃になると手を通している。

どういうわけか冬から春にかけての光の中で落ち着く

 

#塩沢お召 #中谷比佐子 #橋本明治 #子絣 #帯屋 #伊藤屋 #ロゴ

 

 

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着物が繋ぐもの 289

2020年02月04日 10時04分19秒 | 日記

きょうは立春

四立といっていろんな意味のけじめに使う、他に立夏、立秋、立冬

立春は「見つける喜びがある」あら梅がさいた、山が芽吹きでピンク色になった、水がぬるんでなんだかオタマジャクシがいるみたい、日が長くなったね。と日々の自然の移り変わりに心も開いていく。立春とはそんな明るさを呼び込む時期

立春の日の水を若水と言ってそれを初釜に使ったもの。その若水で立てたお茶が福茶。煎茶やほうじ茶でもいい、結び昆布鵜や小梅を入れて飲む。今は昔、でもまだそういうしきたりを重んじている方もいらっしゃるだろう。気の合う仲間が寄り集まって、ゆったりと季節を味わう集いも楽しい

 

チャ子ちゃん先生はこの4立を衣替えの基準にしている

江戸時代までは旧暦を使っていたので、この日を新年としていた、新暦だと2月27日。春の気配満々だ

立春の声を聴くともう古代縮緬の着物は避ける、また柄でも雪持ち柄はお休み、古代縮緬を休ませるので、帯、帯揚げの縮緬もお休み、暗い色のきものもさける。ただし一越ちりめんはまだ出番がある。旧暦のころはこの日から綿入れをやめるとある。昔の着物は全体に真綿を入れたり、裾にたくさんのふき綿を入れて入れて暖かくしていた。背負綿もやめて、普通の袷の着物になると古い書物に書いてある。立春というのは、新しい年はじめとして心ウキウキするものであった

ついでに言えば立夏からは単衣、立秋は薄物をやめる、立冬に入ると暖かそうな色にるので真綿紬の出番が多くなる

 

ここのところ気候は不順、縛られるずにその季節を楽しむということが着物を着る醍醐味ではないかと思う

 

着物の好みも着方もいろいろあっていい、洋服だってそれぞれ好きな取り合わせがある

「人に迷惑かけてないんだもの、何を着てもどう着ても私の勝手でしょう?」という人も多い、其の通り、

 

先人が残してくれた人を美しく見せるセオリー、着ることによっての心地よさ、そういう感覚は繋いで生きたと私は思っている

立春!これから季節が動き出す、そのエネルギーを身に受けながら季節の躍動を体内に入れて元気に過ごしたいと思う

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着物が繋ぐもの 288

2020年02月03日 12時18分24秒 | 日記

春の節分ですね

節分は本来は四つ、立春、立夏、立秋、立冬の前日が「節がわかれる」という日で節分。現在は春の節分が定着している

農耕民族の日本人は、芽吹きのころが一番気合が入っているのかもしれない。厳しい寒さを乗り切り、生物が謳歌する春、喜びに満ちた季節、野に山に出て自然の息吹きを感じ入ることで、自分自身の生を愛おしむ。古くは立春を新年としていたころもあり、その前日は晦日になり、古いものを捨て去り未来に向かうというということで、その整理を鬼に託したという説がある。「自分の中の古くていらないものを鬼に渡して処分してもらう」ということで新年おめでとう

 

年女というのはない

もともとはその家の主人が「歳男」として登場、去っていく古い年を浄化し、新しい年をめでる。男性上位のころは年女は存在しなかった

家長が収穫を祈り、家内安全を祈る。そのため歳男となる人は威儀を正し、礼装であることが望ましい。

 

節分の豆は本来は五穀(粟、米、麦、黍、豆)節分の儀式は平安時代からだが、時代の流れによって儀式も様変わりしているが、立春を迎えて一年を健康に、平穏に、また自然災害も少なくという思いが込められている。最近の豆は大豆のみになっている地方もあるが、柊にイワシの頭をつけたり、それぞれの地方での鬼退治もまた趣がある

 

京都の鞍馬山からは実際に鬼が出ていたという言い伝えがあり鞍馬寺は「追儺式」として鬼払いをしているのを取材したことがある

鬼が出てくるという穴を封じ、三石三升の入り豆を投げつけ祈祷をする、いきなり平安時代に戻ったような追儺式

正式な豆のまき方

豆は日暮れまでに炒って、桝に入れて三宝に乗せ神棚に備える、午後8時から10時の間に、玄関、勝手口、縁側、窓の順序でまく、「鬼は外福はうち」と二回ずつ大声で叫び、終わったら直ちに戸を固く締めて鬼が入らないようにする。その後うちにまいた豆を都市の数だけ食べるという習慣

 

節分のお化け

花柳界ではにぎにぎしく行われる習慣。今宵も花柳界に繰り出してみたらどうだろう、年配の芸子が舞妓姿になったり、花嫁姿に化けたり、貴公子や公達に化けたり、客は祝儀をはずみ大賑わい

面白いことをして客を招き入れるので「福を呼ぶ」奇妙な姿になるので「鬼も逃げる」ということらしい。ハローウインよりもっと粋な遊びだったのだがなあーー

 

#お化け大会 #花柳界 #五穀豊穣、#舞妓姿 #公達 #鞍馬山

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