チャ子ちゃん先生を死の淵に追い込んだっ悪ガキは
その前にも二つ私にダメージを与えている
いつものように悪がき大将は子供たちを寺の鐘撞堂にあげてそこから飛び降りる競争をさせた、みんな必死に飛び降りる、その時飛び降りた子の足元から石が私の目を直撃した。驚いた悪ガキは急いで自分の母親のところに私を連れて行った。その母親は丁度授乳中ですぐに自分の乳を搾り私の目に当て包帯を巻いてくれた。その日は何回も何回も乳を当ててくれていた
母もその母親を信頼して私をそのままその家で寝かしていた
隣同士の信頼感というものに大人になってその時を思い出し感心したものだ
のちに母乳には殺菌力と止血の力があり、傷には一番の特効薬と聞いて、当時の母親たちの知識と知恵の深さに驚いた。そのお陰で、傷跡も残らず目もいたまず感謝している
もう一つは
やはり鐘撞堂でのこと、子供たちに鐘を衝かせるといういたずらを悪ガキは思い付き、鐘を衝くように命令、しかしなかなか重くてよく衝けない、お寺の鐘は時刻や火急の時を告げるものだと母親に聞いていたので、私は仲間に入らず鐘の外側にいた、そこへ和尚さんが駆けつけて叱り飛ばされたのだが、最後に衝いた子の棒を止めようと手を入れた瞬間、私の左手の親指がその下敷きになり骨が砕けた
これも黙ってやったことなので誰にも言えず痛いのを我慢して一夜明けたら親指がイチジクの様な太さになっていてそれを見た母は医者に駆け込んだ
ほったらかしたので筋肉が骨の周りについて指を支えたらしく、このままにしておきましょうとなった。そのため今でも私の左親指の関節はまっすぐのまま
こういうこともあって悪ガキはあの疫痢騒動以来、まるで王女様の僕のごとく私に尽くすようになった。しかし体の弱さは回復せず寝たままの状態が続いていた。絵本を読んでくれたり、おもちゃを持ってきたり、自分のおやつを分けてくれたりと至れり尽くせり
そのうちあの戦争でバラバラになって音信も途絶え、久しぶりに入った情報は
「修二は疎開先で川におぼれかけている子供を助けて自分が力尽きて死んでしまった」という彼の母親からの託
さらに時代が進み私が徹子の部屋の番組に初めて出演したとき、終わった後知らない女性が私のオフイスを訪ねてきた。聞くと
「修二兄さんの妹です」
「ああ あの時の赤ちゃん?あなたのおっぱいを横取りしたんでしたよね」
母親が番組を見て涙を流し喜んで修二さんの写真もテレヴィの前に置いて見ていたのだという
東京に住むその妹さんに母親から電話があり尋ねるように言われたのだという
その後はまたその妹さんとのご縁がつながり旧交を温めることが出来た
「あの病弱なひさこちゃんがあんなに元気になってーー」とよろこんでくださった