チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

自分との約束

2022年12月15日 10時26分31秒 | 日記

最近強く思う

自分との約束は「神との約束」と一緒だなあー--と

 

神を実証せよ、神がいると思うから実証しないと我慢できなくなる

神はあるとわかれば神の存在は自明

 

あるとき

村上和夫先生とお話ししていた時

「比佐子さん人間は大腸菌一つ作れないんだよ」

「先生はお米の遺伝子を読めたんだから神業ではないですか?」

「いやちがうよその遺伝子を書いたお方がいる」

「先生はその方をサムシンググレイトとおっしゃってるんですよね」

「そう」

「科学者は神の存在を肯定してはいけないんですか?」

「---苦笑」

 

そのあと人間は何一つ自分の体の部品を自分の手で作っていない、つくれないすべて借り物である。という話に発展していき

「じゃあ先生、私たち人間は神そのものということですよね!」

とチャ子ちゃん先生勝手に結論付けて「私は神」と思い始めた(笑)

挙句神棚の中に自分の写真を入れて、毎朝拝んでいたらある日姑が

「比佐子さんこれはあんまりではないの?」と笑いながら私の写真を神棚から外し写真をひらひらさせて私に手渡す

「実はねお母さま」

と事の次第を説明すると、なるほどよくわかるけど「やることがあなたらしい」と大爆笑

「比佐子さん自身の中に神様がいらっしゃる、ということでどう?だから自分との約束は神様との約束という落ち着かせ方の方が自然かもね」

それ以来自分自身が自分に約束したことは必ず守る、それは神との約束だから

しかしずるくなってきて、自分との約束は出来るだけしないようにしている。でも自然にさせられるときもある。こういう時やはり神の存在を認識する

体の部品はすべて神からの借り物、そうすると常に清潔にしておかねばならぬ、ああー手術をした切り刻んでしまった、申し訳ない、綺麗にいsてお返しできないよ、と悔やむ

しかし旧約聖書には「神は今を大事に生きていれば過去がどんなによくなくても許してくださる」という意味のことが書いてあって、いいとこどり専門のチャ子ちゃん先生はそこを浮き彫りして読み胸を撫ぜ下す

 

所がそのあとに「どんなに善行をっ積んでも今この時悪事をすればその善行も消えていく」と書いてあった

つまりは毎日その瞬間を自分に正直に生きて自分との約束をきちんと守る、これだけだよね!結局は

 

 

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アインシュタインの言葉

2022年12月14日 09時10分00秒 | 日記

アインシュタインが大正13年?15年?早稲田大学の大隈講堂で講演したときの言葉

今は全文を暗記していないが、日本人は優しくて清潔、親切で笑顔が美しく謙虚というような言葉のあと、世界の人々が戦争に疲れ果て、その心を休めるのに日本にやってくるだろう、そういう日本という国をこの世に作ってくださった「神」に私は感謝する

という趣旨だった

アインシュタインがそういう言葉を残した後から、日本は大東亜戦争に突入し、その戦に負けて後、大正時代の日本人の魂は消えてしまっている。というか消されてしまっている

 

清潔で親切、そして謙虚で優しく、いつも笑顔で迎えてくれる日本人。この感想は江戸の末期日本にやってきた諸外国の文明人がことごとく感じた日本人像と一致する

「日本に文明を教えるつもりが、日本人から文化を教わった」という言葉を残している人もいた

 

今ツイッターを買収したイーロンマスクの手によって、隠されていた真実が明るみになっている

少数の日本人はその真実を「多分」という感覚でわかっていたけど、日本のテレビや新聞の愛読者たちは、伝えられるニュースを一方的に頭から信じていたと思う。それが全て嘘だということが全世界の人たちと共に知ることになった

 

それを知って右往左往するのではなく、アインシュタインが見たこの日本人の姿を思い起こし、そこに立ち帰えれば、過行く世界の嵐を、落ち着いてやり過ごすことが出来ると思う

世界的規模の大転換期にいる私達は、日本人としての誇りを持つことが、荒れまくっている世界にとっても必要

アインシュタインの「戦いに疲れ果てた人々が日本にやってきて自分の心を癒すときがくる、そういう日本を作ってくれた神に感謝する」という言葉の贈り物を受け取る日がやってきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自己肯定

2022年12月12日 10時12分19秒 | 日記

昨日二年ぶりに、中野裕弓、野田幸子、中谷比佐子のトークショー―を横浜の中華街で行った

中野裕弓さんは通称「ロミ」さんという愛称で呼ばれていて、「どう生きるか」と真面目に考えている方がたの「師」と仰がれている

透き通るような声で、明るく未来をきっぱりと語る方で、曖昧模糊のところがなく人を引き付ける

野田幸子さんは「オーラソーマ」色があなた自身という精神的な色の選び方を構築したイギリス発祥の手法を、初めて日本に持込んだ色と精神性を普及した方、いまは自分を生かす女性たちのグループ「カラーリアム」という会社を興した

そのカラーリアム主催で三人のトークショーを二年前に行い大好評だったので、この二年間の大変化を体験した後、さて次の時代をどうい生きて行くかをそれぞれの立場で語り合った

結論は「大丈夫」「日本の魂が中心の時代が来る」それには「愛」がテーマ。まず自分自身を肯定し愛することが大事

 

この「自己肯定」ができていない人が多いということを裕弓さんは言っていた

そして

「比佐子さんの何かの言葉でスイッチが入り、止まらなくなっちゃった」

ということを帰りの二人きりの会話でいっていたが

会でのそのとき、涼やかな声が一段と音量を増して、きらびやかに話しはじめたのには驚いたが、チャ子ちゃん先生は徹底して聞く側に回った

 

「自己肯定」をするための具体的な自分自身への問いかけは、さすがにカウンセラーを職業としているだけあってよどみない。

「やりたいことが見つからなくて」という不安な質問に

「この世にまだあなたがやりたいということが現れていないのかもしれないわね」

「私失敗ばかりして」という質問に

「あら失敗は飛躍のチャンスよ」

 

こういう受けごたえを繰り返しているとみんなが楽しくなって、未来に希望が持てる

会場の皆様も私達も、よどみなく語る裕弓さんの声に聞きほれていた。口挟む間もない流暢さ

 

「自己肯定」が出来ないというのは、日本の国そのものではないかと思う

國にたいして私達は自虐的な考え方を随分強いられてきた

しかし正しい歴史を知れば、日本という国が如何に「神と共に」生きている国かということが理解できる

裕弓さんの声を聴きながら

「日本国を肯定する」ことが「自己肯定」にもつながるなと確信したトークショーであった

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着物が繋ぐもの 508

2022年12月10日 14時04分04秒 | 日記

 

小千谷縮の制作で頑張っていた樋口隆司さんからご連絡をいただき

「最後の作品を見てほしい」

ということで組合主催の展示会に赴いた

「どうして?」

あってすぐ直球の質問、遠慮がない

手仕事職人さんの問題だという

一旦切れた気持ちは到底元に戻らない。特に手仕事はなおのこと

樋口さんとのよき時代の事を語り合う、でもそういうことを語っても明日がなければむなしい

 

せめて記念に何か購入しようと思って選んでいたら、美しいキモノの元副編集長の富澤さんも駆けつけ、あれこれ話し合う。あれは?これは?と身に着けてみるけど、なかなか決まらない

二人ともいつも数秒で決めていくチャ子ちゃん先生を知っているので「やめとき」となってしまった

やはりもう新しい作品はないので、心に響いてこない

そういうものなのだなあ、未来に向かっている時はあれもイイこれもイイとなる

 

あの中越地震の時いち早く沢山水を樋口さんのところに送った

その水が届いた後、また揺れて道路が封鎖され、もう宅急便はいけなかった

「あの水が自分たちの命を救ってくれた」と未だに感謝してくださる、そのお礼にと毎年天日干しの新米が届く

ありがたい

 

夜空の星を眺めながら車の中で過ごし、駐車場にみんなが集まって送ってもらった水で料理を作って食べた。と

その眺めた星をモチーフにして着物を作りその着物が通産大臣の賞を取った

マイナスの状況をプラスに替えるエネルギーに大拍手だった

 

何か納得できなかったけど、時間をつくって小千谷に伺おう

同じ場所で塩沢の組合の展示会もあり顔を出す

其処では江戸時代の帷子の修復をするために、苧麻の美しい糸の仕入れにいらしている陶芸家にあった

日本人の美しい手仕事の修復をして次の世代に残したいと、私財を投じていらした

博物館に行ってしまうと、一般の人は見ることも触ることも出来ないので、自分が修復して手元に置いておけば、誰でもが見たり着たり出来るからね

人生いろいろ

 

 

 

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あるもので過ごす

2022年12月09日 10時02分26秒 | 日記

お金を使うことが大好き

所が「出費を抑えましょう」と税理士さんに注意を受けた

そうしないととんでもないことになるー-と

確かに。このわけのわからないパンデミックのおかげで、仕事は減りということは収入はがた落ち、そういう時は「出費」を抑えなければならない

この当たり前のことが理解できずというか実行できない、おバカちゃんのチャン子ちゃん先生

 

まずタクシーを使うことをやめた

そうしたら「歩くだけでお金になる」というアプリを友人が知らせてくれた。まだその手続きをとっていないが、毎日歩くことが楽しくなって、いろんな友達にそのアプリを渡している。大体一日5000歩は歩いていた。此れにはびっくり。規定は1000歩以上とあるが軽く超える

 

デパ地下に行かないことにした

目が卑しいので、いろいろと買い込んでしまう。一つでいいのに束で購入したりと無駄が多かった

朝は梅干しとお茶にしたら、なんと、梅とお茶があちこちから送られてきて、一年分は確保できた。果物中心にしようと意識しら果物が切れることなく送られてくる

 

洋服はあるものを着る。これがね結構いいものばかりなので、家着にしてしまうのに抵抗があったけど、一度卸してしまうとなんと丈夫で動きやすい、さすがにブランド品だと感心する

先日ショートコートが欲しいなあ、と見て歩いていたら「目」がいいものを見つけてしまう。ショールで我慢がまんと戒めたら、川邊サチコから、「これ着る?」とショートコートを頂いた。整理していたら「これは比佐子さんの方が似合うな」と思ったそうだ「しめしめほしかったのよ」と大満足

 

外食は極力控える。

新幹線などグリーン車に乗らない

あるものを使い切って生活するということは、幼い時によく親に言われていたのに「Hun貧乏くさい」と反発していたが、今初めてその真意がわかる。「ケチと節約」の違いだ。節約は資源の温存にもなる

いつまで続くのかはわからないが、この生活態度が習慣になれば、来年の決算では褒められるかもね

 

 

 

 

 

 

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門松作りが始まった

2022年12月08日 09時41分43秒 | 日記

久しぶりに氏神様に顔を出したら「門松づくり」が始まっていた

チャ子ちゃん先生これから毎日が楽しみ

まさしく「松竹梅」を植物と形で表す

値段を聞くとここ10年以上変わっていたい

全てが手作りなのでその手間と時間を考えると本当はもっともっと高額なものになってくるだろう

 

竹の切り方ひとつ

縄で梅の形を作ること一つ

 

松の飾り方ひとつ

そのすべてに「形」がある。伝統芸能と一緒だと思った

歌舞伎の形、料理の形、しつらえの形、作法の形、茶道の形、能の形、手紙の書き方に謳るまで、この「形」が日本文化の底にあるものなのだ

同じ形を作るにしても、その人の感性できりりと決まる人と、緩くなって形が整わない人がいる。形は精神なのだと思う。精神が整っていると形は美しく作れる

 

モノづくりの人たちの心模様が作品に現れる。そしてそのっ作品に惹かれる人は同じ心模様をしている人なのであろう

今では珍しい焚火にあたりながら、作業を見つめていることが至福

そういう時間が持てることの幸せに感謝

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日本は?

2022年12月07日 08時42分17秒 | 日記

金沢、富山、長野三県のそれぞれのホテルに泊まった

ワクチンを打った証明書を持ってるかどうかを聞かれる。三回以上らしい。そして身分証明書、マイナンバーを持っていれば完璧

そうすると宿泊代は半額以下、其れにお土産クーポンが3000円分とか2000円とかがつくらしい

先日インドネシアで行われたG7だか20だかで声明文が出ていたけど、「ワクチンパスポート」なるものが、もうすでに日本では行われている

 

まだワクチンを打っていない者でも今は宿泊できるが、パスポートを持つことが義務化されれば、人の行動の自由は阻まれる。そういう時代が目の前にあるのだということを痛感する

最近は一流とされるホテルでさえ、自分で料理をチョイスする形になっている

その時渡されるのがナイロンの手袋、入り口で手のアルコール消毒をしたうえ、手袋をつけることを強制される、そして定番のマスクの着用も強制

 

それが三か所のホテルの朝食風景だった

 

朝食は戴かないので、お茶と水だけを求めて行ったけど、その物々しさにびっくり

お茶だけというと別の席を案内され(隔離?)手袋もマスクも強制されずお茶を頂けたホテルもあったが、有無を言わせず手袋とマスクというホテルも

この手袋を販売している会社はホクホクの大儲け、一回使ったら捨てられている

ごみをふやさないように環境を美しくしようという運動から離れている現状

不織布のマスクも使い捨て、ごみはふえるばかり、矛盾だらけ

 

手を消毒した後何で手袋が必要?すべて箸で取り皿に入れているのにどうして手袋が必要?

誰一人暴れることなく(笑)それが当たり前のように従っている

「なんで?」という疑問などもたず、鵜呑みにする国民になっているのだなあとお茶しながら遠くから眺める

ある筋からの情報では、ワクチンを打った国民は85% 国会議員は15% 官僚は10%だそうだ

 

みんなみんなマスクをしているのに感染者は増えるばかり、この矛盾だけでもおかしいと思わないのだろうか?

 

不思議を通り越してなんだか怖い感じがする昨今だ

 

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着物が繋ぐもの 507

2022年12月02日 08時40分39秒 | 日記

最近の呉服屋さんは「着物レンタル業」になっている店が多いようだ

振り袖、留めそで、訪問着などはレンタルに切り替えた人が多い

とくに振り袖は、成人式より早く「前撮り」ということが流行で、店の中にスタジオを持っている店もある。カメラマンに撮影を依頼しても、着物姿を美しくとれるようになるまで時間がかかる。着物の撮影は結構むつかしい。体は動かさず、顔の表情だけを追うがその時着物の中の体はしなやかに動いていなければならない。その動きを指導できるカメラマンは着物の構図や、着物を着たときにどこを見せるかなどの着物の知識がないといい写真は撮れない

それで結局着物に詳しく、客とも会話の通じる店主がカメラマンになって写真を撮っている店もある

しかしヘアーメイク、着付け師を常時抱えていることも大変なので、そういう仕事のできる人をパートで確保するということもしている。レンタル料の中にそれらの費用も組み込まれていて、結局購入したほうが割安ではないかな?と思ったりもする

レンタルに傾く傾向は、着物が高額であるという理由は薄く、着物の扱いがめんどくさい、まずは着物のたたみ方や、保管方法が分からない、つまりは着物に無知、其れと着物を着る機会が今の生活には少ない、「無いない尽くしの着物世界」なのだ。それでも着物を着るという異世界の自分自身の姿を、自分も親も望んでいるというのが現状

レンタルを決めたら、その一式を呉服屋に預けたままという家族も多いそうだ、その為呉服屋は預かった着物を置くために、部屋を確保しなければならない。場合によってはワンルームマンションを契約する店もある

一方では着物のことを勉強したいという人も山といる。出来たら毎日着物を着ていたい。という人も多い

 

着物を取り巻く世界が大きく変わってきている

「物を愛でる」という時代から「必要な時に必要なものを借りる」それは「物を扱う」という感覚、だから自分の物にしていく必要がない

一方で着物は三代にわたって着られるので、いいものを購入し代々残していきましょう。それがに日本人の手仕事を次の世代に繋ぐことにもなると考えている店もある

 

着物に憧憬を持ちながら、「着物」を家庭の中で繋いでこなかった日本人の生活模様が、いま「きもの難民」を生んでいるのだと思う

着物を作り上げる多くの技術が、日本に精密機械を作る技術を生み出させたことを私達は知る必要がある

桑の育て方で農業、蚕の育て方で遺伝子工学、染の技術で化学、織の技術で機械製造、着装技術で骨や筋肉の在り方、まだまだある。

きものは「日本文化の宝庫」

レンタルでも着物を着ることで、「宝庫」に気づく若い人が出てくるといい

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