チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

大失敗

2023年05月11日 06時27分14秒 | 日記

昨夜の「チャコちゅうぶ」音声が全く出ていなかったので、二度目をやり直した

ご迷惑をかけた。パントマイムを20分見ていただいたのだから「時間泥棒」だった

申し訳ないと思う

 

それにしても機械はよくわからん

パソコンの本体が新しくなり、そこにより声の聞き取りをよくしたいとマイクを設置したが、そのマイクとの相性が悪く音声が届かなかった

素人が勝手に「ユーチューブ」をやれる時代での落とし穴

 

朝小皿を落として割り

打ち合わせの場所に眼鏡を忘れ

地下鉄のホームでうっかり反対方向に乗り

今日から出かける列車のチケットの購入で財布を忘れ

最後のとどめがサイレント「チャコちゅうぶ」

 

失敗って重なる

こういう時どう考えるかだ

つまりは何かをしているとき、頭の中は別のことに気を取られているので失敗が重なる

 

昨日は原稿を書いていて、自分の取材の未熟さにあきれ果て、そのことばかりを考えていた

嘆いていても仕方がないので、取材のやり直しに本日からまた動く

電話やメールで済むことかもしれないが、直接にあって相手から情報を得ることがどんなに大切かがわかっているのに

その取材に深さがなかった

 

そういうことを考えて事を運んでいたらいろいろと失敗し

とにかくきちんといま目の間のことをしっかり「氣」を入れてやりなさいというお知らせ

「氣」という字も最近は「気」と閉めてしまっているものね

 

さあ

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サミット

2023年05月09日 09時11分04秒 | 日記

沖縄でサミットが行われたとき

各国の首相夫人に振袖を「女将さんサミット」からプレゼントをした

各大使を呼んでホテルオークラの会場を借り切り贈呈式をした

日本は富士山と菊をテーマに アメリカはワシントンの桜、フランスはエッヘル塔とワイン、イギリスは衛兵とバラ、ドイツはライン川とホップ、イタリアはミモザ、ロシアはバレリーナ、このすべての着物は十日町の友禅作家「滝沢晃」さん作。二人で写真やそれぞれのお身でなどを話し合いながら下絵を作り、何と1か月で染め上げた。

お礼状が来たのは当時のアメリカ大統領夫人ヒラリークリントンとロシアのプーチン。

 

女将さんたちは全員留めそで姿でこの式典に臨み、いろんな新聞社やテレビ局からのインタビューを受けていた

司会は今は亡き岡田真澄さん、英語は達者、フランス語もドイツ語も話せて素晴らしいタレントだった、しかも格好いいしね

主宰のチャ子ちゃん先生ももちろん黒留めそで、主宰だけど裏方で進行しているから目立たないようにしていたけど、やはり前に出ざるを得ない状況はいっぱいある。いい気になっていたわけではないけど、そう見えたらしく主宰していた「女将さんサミット」の一部のメンバーから非難を浴び、あっさり主宰を降りた

外務大臣が河野洋平さんで、何回か打ち合わせをさせていただいたが、夫人の武子?さんの美しさには目を見張った。謙虚で優しく品がよく、日本の代表夫人になってほしいとさえ思った

 

外務省の中の方がご自分の恋人がイギリスに留学するので、イギリスの模様の訪問着を作ってくれないかという申し出があり、瀧澤さんにお返しができるといそいそと作って差し上げたら、のちにその男性は何やら別の大きな事件に巻き込まれていて、刑事が二人やってきていろいろと聞かれて驚いた。滝沢さんに支払いはどうなっているかと聞いたら、もういただいたというので安心したものだ。

 

また当時の日本の首相夫人は「そんなもったいないものはいただけません」と自筆の手紙と一緒にきものが戻ってきた

しかし日本の代表夫人としてパーテイーでお召しいただきたいと伝えたが、「私はそんな贅沢はできません」って

 

広島サミットのニュースを聞き思い出の一コマ

日本が置かれた世界での位置が垣間見えた事柄だった

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雨の週初め

2023年05月08日 08時42分06秒 | 日記

二日続きの雨

昨日「続・きものという農業」の第一章を書き上げ出版社に送った

一昨日若い友人がきて「AI」がサクサク説明してくれるアカウントを作ってくれた

そしてきもの関係のことを聞いたらこれが嘘八百

他のことはかなりの正確な情報なのにとその友人は言っていた

 

嘘八百と思うチャ子ちゃん先生が嘘を信じているのであろうか?と思うくらいAIは自信満々である

これが今の世の中で、このAIの語ることを真実と受け止めている人のほうが多いのだろう

それはテレビと新聞の記事や他人の噂話を鵜呑みにするのと同じで、嘘が真実というきものを着てしまう今の世界の状況だ

 

次に現れた友人はアマゾンの電子図書を推薦した

AIが文章を書くので一冊の本は一日で出来る、今は誰でも本が出せる「ちょっとこんな経験したよ」「私はこう生きてきたよ」とつぶやいているだけで文章にしてもらえる。その本も300円とか500円安いからみんなが購入する

「僕は印税20万円とれたよ、きっと何十万部もうれたんだろうねえ」

お金儲けはいろんな形で行われている

早くそれに気が付いた人が勝者、本に関して言えば紙媒体の出版社は苦しかろう

老舗の出版社でも自費出版を進めてしのいでいるが、聞くと結構な金額がかかる100万単位が普通。それなら一冊から出版できる電子図書のほうに人は流れていくのも致し方ない。宣伝しなくてもSNSという強い味方がいる、しかも家が本の山にならなくて片付く

 

効率とか便利、誰でも参加できるというのが今のトレンド

しかしだねえ

チャ子ちゃん先生はアナログで行く、本気で生きている人は泥臭い、そういう人こそ「生きる」を真摯に考えている、その方たちの生き方に接しているだけで、信仰を尊ぶことができる。そしてこれからの本当の道は「信仰を持つ」ことだと思うのよね

余技で電子図書にも介入するかも

 

 

 

 

 

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土が動く

2023年05月07日 09時09分20秒 | 日記

能登半島に強度の地震

住んでいる方はさどや驚いたことだろう

その時軍艦島といわれている島が崩れ落ちている姿を動画で見た

軍艦が沈むのは「もう戦争はおやめ」という神の啓示か

 

あの能登の大地震はもう何年前になるのだろう

能登門前町で生産されていた「能州紬」の会社と顧問のような付き合いをしていたので、その地震の一週間後に門前町に入った

道は割れていて、各家の屋根瓦は崩れ落ち、その景色に胸を痛めながら会社につくと、皆さんの命は別状ないものの、屋根は軋みそのため扉の開閉はがだめになっていて、かろうじて動く窓の扉方の出入り

木造のうちだったので、屋根の軋みさえ直せば平常通り、木造建てであることの幸せを感じた

出機の場所に赴いたが、屋根が崩れ落ち作業途中の反物は土に埋もれていた

まずは整理から始めなければと思うが力仕事ではチャ子ちゃん先生役に立たず、みんなの気持ちを明るくすることしか思いつかない無力さを思い知る

 

門前町が持っているホテルはさすがに人が泊まれるように整備されていた

車道は道が割れているのでプロの運転手しか運転できない、そのため従業員の安否の状況も正確につかめない

そういう環境の中で「これからどうするか」を話し合うのも空虚な感じ

気持ちがなえているので未来の話には頭が向かない、今目の前のことをどうするかが急ぎの問題だ

 

しかし山も海もそして空もすべては平常通り、自然が泰然としている姿を見せているので少しずつ心も落ち着いていく

 

この地震で経営の方向転換があり、すべてに弱気になった経営者は病を呼び会社はなくなった

 

いままさに日本は見えない地震にさらされている

根底から覆されることが日々起こっているけど、すべてを俯瞰して眺め、自分の立つ位置をしっかり固めることが必要なのだと思う

土が動いたら天とつながっている気持になればいいと、能登の地震の跡地に立った時感じた

 

 

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早や立夏

2023年05月06日 08時57分01秒 | 日記

今日の新宿は28度まで気温が上がるらしい。まさしく立夏だ

GWの間に三分の一月の日数が終わる、時間を有効に使うかといえばぼんやりしている時間のほうが多い

原稿はまだ一行も書いていない

そのぼんやりの中でひょいっと思い出したことがある

 

昨夜菖蒲湯に浸かっていて、戦国時代の武将はこの菖蒲を脚絆や足袋,胴服、兜などの柄に多く使っていた

これは菖蒲と勝負をかけたのだろうが、あえて「尚武」という文字を使い、勝ち負けの生臭さを避けている

日本人の精神性というのはどこまでもしゃれているなあと思いながら浸かっていた

 

菖蒲を湯船からわしづかみで引き上げた時、ふと思い出したことがある

夏前に行われる井戸の掃除、その時職人がこの菖蒲の葉を束ねて井戸の中をごしごしこすっていたように思う

そして終わったら井戸の周りに盛り塩をおき、日本酒をまいて浄化していた

其の菖蒲たわしを子供たちはもらって、ボール投げのようにして遊んだ思い出がある

井戸掃除のあとは縁側で振る舞い酒をするので、ついでに子供達もふかしまんじゅうなどを口にする喜びがあった

 

それで今朝早速湯につけた菖蒲の葉を洗い折り畳み、大麻の糸があったのでそれでぐるぐる巻いて「たわし」を作ってみた

鍋もタンクもピカピカ。植物の力はすごい、洗剤なんていらない

 

そうだ!

母たちはこういうものを使っていた、へちまもそうだ。「消費が美徳」という大量生産に踊らされていたんだなあ。とあっちもこっちも磨いている。うんまだあった卵の殻、これで塗りのお盆などを洗っていた、つやが出ていた・ついでにそうだ髪も卵の白身で洗っていた、だから母は最期まで髪につやがあった

 

チャ子ちゃん先生はそう言う姿を「貧乏くさい」と思って反発していた

これからは母たちの知恵が時代を動かすのかもしれない

 

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端午の節句

2023年05月05日 12時49分54秒 | 日記

菖蒲湯につかるぞ!

と息巻いている 

穏やかな連休、しかし明日あたりは雨だという

藤、ハナミズキ、つつじ、あやめ、バラと一気に花が開咲きそろい、帯をどうしよう?

季節の先取りがおしゃれの神髄よ、なんて気取ってられない

SNSの発達でいろんな情報を目にする

その中で

洗濯物はお風呂の残り湯に一晩つけているだけできれいに汚れが落ちる。と解説しているのを読んで早速試してみた

ほんとだ!

そういえば、家庭画報の二回目の取材の時、時の編集長本多光夫氏と岡山の津山に行った

作州絣を着て赤いタスキをつけた女たちが、大きな桶に乗って川を下りながら洗濯をしているという風景に出会った

観光のためかと思いきやそうではなく、木綿の布を柔らかくする知恵だという

 

どうして作州絣にひかれたのかよく覚えていないのだが

そこが森蘭丸にゆかりの地だというミーハー的な思いもあったように思う

この田舎になにゆえに編集長までもがご一緒だったのかも今となってはわからない

一回目の取材小間海大島の大島紬の取材にもご一緒だった

チャ子ちゃん先生の仕事ぶりのチェックだったかな

 

ここでも偉そうに

絣の新しいデザインなどを話し合い、それを家庭画報に載せ、誰よりも早い誌上での販売をした

その中に、こいのぼり、兜、あやめを小さな絣に表現して、この柄が一番多く売れた

自分でもセンスいいなあと見とれていたぐらいだ

 

いつもそうだが、思い付きデザインのものが手元に残っていない

でも自分の頭の中には入っているので、絣柄にできると思う

きものはどんなデザインのものでも昇華してくれる珍しい衣服だ

自由で大胆で格調高く優しいという柄が好き

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週刊朝日廃刊のニュース

2023年05月04日 10時24分12秒 | 日記

2年間週刊朝日に連載をしたことがある

有名企業の父と娘、息子の取材、東京の面白いイベント

いろんな企業の社長にあえて、その人が一番話したいことを聞くという修業をしたようだ

そのころのの社長はオーナー社長が多く「自分の会社で働く人は自分の家族」という感覚が強かった

そしてほとんどの方が質素倹約をモットーとしていて、お子さんたちもまずは「他人の飯を食って」会社に平から入れるという社長さんが多かった

 

最も取材依頼の時点で「雇われ社長」は取材を断ってきた

このころは背中に「朝日新聞」を背負ってるだけで取材がスムースにいった

マスコミへの信頼感が厚かった時代だ

 

イベント取材は「パンダが上野に来た」という取材が最もうれしかった

「かんかんとらんらん」まるで触れるくらいの距離で目を見ながらかんかんと話をした

これも背中の朝日が効いている、女性誌の週刊誌とは扱いが全く違った

人を見るのではなく、どこの会社の仕事かということが需要にされる時代だった

 

こういう小さなページなので大マスコミの権威というものにあまり気が付かないでいたが、後ろ盾のない個人としての取材を始めるようになった時の、扱われ方は無残だった

とにかく中谷比佐子と個人としてもきちんと取材ができるように自分自身の中身を充実させないといけない、と思ったものだ

 

仲のいい担当者が「ムック」の担当になり

「中谷比佐子のきもの組  二十節気と衣替え」というムックを出した1995年(平成5年)28年前だ

今を時めくトヨタイッコーさんにヘアーメイクを依頼(彼の師匠からきもののヘアーをさせてねと言われたので)、丁寧で優しく、明るくてとても和やかな青年?だった

そのとき「きものを着たいわ」というので彼の仕事ぶりの写真を着物を着てのプロフイールにした。「テレビに出て有名になりたい」とおっしゃっていたがその通りになって素晴らしい

 

そんなこんなの週刊朝日syounara

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日の丸

2023年05月03日 09時35分12秒 | 日記

本日は憲法記念日

昭和20年の敗戦以来「憲法9条」の戦争をしないというお約束は守られている?

防衛費は年ごとに大きくなっているけどね

さてこの日「日の丸」を掲げる家はどれくらいあるのだろう、大体日の丸の旗を持っているお宅は少ない

この日の丸は「島津斉彬」が考案したということだけど

外国からの来船が多くなった時、日本の船に掲げたのが日の出をイメージした太陽の船旗

それが間もなく国の印国旗として用いられた

 

この赤は何で染めたか「茜」だよ「筑前茜染め」今の飯塚市に当たる

この辺りは黒部藩の茜の栽培が盛んであった

 

さてさて

ではあの真ん丸がどうやって染められたのかその技法がわからない

当時は手染めであろう

いまは長方形盾が横の三分の二、直径縦五分の三などと寸法は厳しく決めれれている。色も赤金の配合が定められている

型染めか、手描きか、絞り染めか、当然今は機械染め

 

もともと日本は「日出国」であるから国旗が太陽であることは当たり前

敗戦の20年からは「国旗」を挙げてはいけないという禁止令が占領軍から出たが、24年祝日は掲げてもよいという法令が出た、しかし日の丸を掲げる家はほとんどなかった

一度禁止された国旗掲揚はなかなか元に戻らず現在に至っている

 

美しいデザインだと誇りに思う

赤を博愛、白を神聖と考えたとか、日の神の子孫としての尊厳を意味しているとか、いろんな言い伝えがあるのも興味深い

 

チャ子ちゃん先生は茜で染められたという事実がうれしいのだ

今日の「チャコちゅうぶ」はこの話をしよう

 

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八という数字

2023年05月01日 08時53分35秒 | 日記

きものは八枚のパーツをつなぎ合わせて縫い一ミリも布を捨てない

実に不思議な衣服である

袖二枚、後身頃、前身頃、衽二枚、襟二枚この八枚の布を縫い合わせるときものになり、それを身に着けると100通りいや着る人の数だけ着方が増える

実に不思議な衣服だ

蚕は頭を8の数字に動かしながら糸を吐く

糸を束ねるときも8の形

8を横にすると無限大を表す

それにしてもきものは不思議な衣服だ

誰が発明したのかなど全く伝えられていない、考案した人がいるのだろうがチャ子ちゃん先生が知らないだけかもしれない

しかしいろんな文献を見ると、平安時代にはもうこの形になっている

わが日本は1000年以上も同じ形の衣服を着ているのだ

 

そう八枚

八という数字は末広がりに八はひろがっていくとか

八方という方角が基本とか

八百万の神という数字

わが秋櫻舎のコスモスの花弁は八枚

陰陽を重ねていくと8になりさらに掛け合わせると64卦の易学となる

 

八を好む民族は多い

その中で最も刺激的な数字は旧約聖書にある

ノアの箱舟に入り救われた人の数が8人

 

きものを解きながらなんで八枚か?と謎解きしている暇なゴールデンウイーク

ほかにやることあるでしょう?

はい

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