2年間週刊朝日に連載をしたことがある
有名企業の父と娘、息子の取材、東京の面白いイベント
いろんな企業の社長にあえて、その人が一番話したいことを聞くという修業をしたようだ
そのころのの社長はオーナー社長が多く「自分の会社で働く人は自分の家族」という感覚が強かった
そしてほとんどの方が質素倹約をモットーとしていて、お子さんたちもまずは「他人の飯を食って」会社に平から入れるという社長さんが多かった
最も取材依頼の時点で「雇われ社長」は取材を断ってきた
このころは背中に「朝日新聞」を背負ってるだけで取材がスムースにいった
マスコミへの信頼感が厚かった時代だ
イベント取材は「パンダが上野に来た」という取材が最もうれしかった
「かんかんとらんらん」まるで触れるくらいの距離で目を見ながらかんかんと話をした
これも背中の朝日が効いている、女性誌の週刊誌とは扱いが全く違った
人を見るのではなく、どこの会社の仕事かということが需要にされる時代だった
こういう小さなページなので大マスコミの権威というものにあまり気が付かないでいたが、後ろ盾のない個人としての取材を始めるようになった時の、扱われ方は無残だった
とにかく中谷比佐子と個人としてもきちんと取材ができるように自分自身の中身を充実させないといけない、と思ったものだ
仲のいい担当者が「ムック」の担当になり
「中谷比佐子のきもの組 二十節気と衣替え」というムックを出した1995年(平成5年)28年前だ
今を時めくトヨタイッコーさんにヘアーメイクを依頼(彼の師匠からきもののヘアーをさせてねと言われたので)、丁寧で優しく、明るくてとても和やかな青年?だった
そのとき「きものを着たいわ」というので彼の仕事ぶりの写真を着物を着てのプロフイールにした。「テレビに出て有名になりたい」とおっしゃっていたがその通りになって素晴らしい
そんなこんなの週刊朝日syounara