チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

金より土

2023年09月15日 11時22分16秒 | 日記

世の中の変動を見ていると

自分の土地をもってしっかり自給している人が安定してくる

減反などやめてとにかく植物を植えることかな

それと同じに

自分自身がきちんと大地に立つことも

文字通りの大地に立つのももちろんだが

自分の軸をしっかり持つ

それには「依頼心」をなくすことだと気が付く

まず自分

人が自分をどう見るかなどもう気にしない

お金を持つことにキュウキュウしていた時代は終わった

かといってまだまだお金は通用しているが

お金を追いかけるという時代ははっきり終わったと

毎月もらうお給料に頼るのではなく

自分で生み出すことにエネルギーをつかう

自分が中心

そんな時代が来た

だkら土の価値が上がる

土が生み出すものが人を育てていく

金は人を堕落させるもの

 

雷雨の雨脚見ててこんなことを思ったまでのこと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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七つボタンは櫻に錨

2023年09月13日 09時04分53秒 | 日記

昨日は蚕の研究所に新所長の表敬訪問をしたのだが

お世話になったというより、ともにいろいろ研究しあった研究員が今年定年という

もうこの地でお会いすることもないので、今日は特別なところをご案内します

という前置きでご案内いただいたのが「霞ヶ浦」

「ひやー大きい、美しい、気持ちいい」

この霞ケ浦の端の方は見たことはある、江戸小紋を染める工場があり、先代の竺仙の社長に案内されたが、全体の霞ケ浦を見たのは初めて

秋の日差しがさんさんと水面に注いでいて、樹木に囲まれた緑の色が果てしなく続き、空は真っ青に高く、時々これも真っ白な雲が悠然と浮かぶ

「うわー」もっと言葉がないの?そうないのよ。と思うくらいに胸を広げ空気をいっぱいに吸う心地よさ

 

さアー次に行きましょう?

うん?ここは前菜?

 

「この道は昔滑走路でした」

「?」

「あの小高い丘の側面には大きな防空壕がほられていました。今は緑が美しいです」

「うん?」

「あの防空壕をめがけて直撃したのが昭和30年の3月土浦の空襲です」

「町の方たちが入っていたの?」

「いいえ予科練の生徒たちです。全員死亡」

「アッ!あの七つボタン―――の、そうだ霞ヶ浦だわ」

なんと間ぬけの答えを言うチャ子ちゃん先生

そうだあの歌の歌詞の中に霞ヶ浦という文言があった!

着いたのは

「海軍飛行予科練習生」の予科練平和祈念館。15歳から20歳までの少年たちの軍人の予備校、みんなあの制服にあこがれた、今見てもかっこいい、合格になるのは優秀な少年たち、学習科目の中には敵国の英語の授業もみっちり、国語、漢文、理科、数学、剣道、柔道、書道、裁縫もある。何もかも身辺は自分で出来るように訓練されていた。その他の時間は体を鍛えるための体育、そして飛行機の操縦

教科書の解説では今の大学の一年生くらいの学力だということだ、10代でこの学問、「月月火水木金金」といわれるくらいみっちり鍛えられていた。たまの休みに行くところが「餡みつや」お汁粉、大福をほおばっている時の幼い顔が純粋、素直

 

戦争末期彼らは飛行操縦も未熟なまま海に散った

 

筆で書いた遺書や家族にあてた手紙の文字も文章も凛々しい

「国を守るため」「一億人の命を守るため」という覚悟が記されていた

 

こうやって命を落とすことが国のためなのか

厳しい鍛錬の元、自分自身を磨き上げたその命を、生きて国のために使うのが本当の愛国心でなかったか

日本は大人が間違った戦争したと臍を噛む、このような優秀な人材を「回転」や「特攻隊」で散らしてしまった

この国の体質今も変わらじ

 

今宵は「チャコちゅうぶ」20時から

 

 

 

 

 

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重陽の節句

2023年09月09日 09時15分53秒 | 日記

今日9月9日は重陽の節句、旧暦では10月23日(重陽の節句だけは旧暦のほうがピッタリくる、菊の花が盛りだから)

わが先人たちは数字を陰と陽に分けた、陰は偶数、陽は奇数、つまり割り切れないのが陽数(結婚祝いなどは陽数の奇数、御香典は陰数の偶数と教えられた。お香典に一万円包みたいときは5千円を二枚にして偶数の枚数にするとか、またはわざと一万円札を折って入れるとか)

というわけで偶数より奇数の方が価値があると考えた

ご節句はすべて陽数の並び、いまだにわからないのが1月7日の人日、一月一日を五節句の始めにする方がわかりやすい

それはともかく、3月3日の桃の節句 5月5日の端午の節句 7月7日の棚機の節句、そして9月9日の菊の節句こと重陽の節句だ

数字の単数の中で一番大きな数字が9であることから最高の数字となった

 

天を九つに分けて九天、中心を囲む八方から「風水学」が誕生した、九の魔法陣が宇宙を表すという学問だ

天子の宮殿の門は九門、飾りを九華、神の使いといわれる龍は陽数の9×9=81枚の鱗を持ち、耳や爪目など九種類の動物に似せてあるのだそうな。それだけ9という数字は力があるらしい

仏さまが蓮の台にのっていらっしゃる、これを「九品」、亡くなった方は生前の行為を九つの段階に分けるのを「九品」と言って居場所を決めるらしいし、九という数字が大事だということがわかる

でも日本では9が二つ重なると「キュウキュウする」という反語もあり面白い

更に日本人「あら冗談」という九の用い方

「いい女だねえ」

「そうかい、もう九つを過ぎてるんじゃあねえか?」

盛りの過ぎた女をそう呼んでいたらしい

 

またこの時期は菊の花が満開

繭の中に菊の花を入れてつつみ四方位の色糸で縛って、家の四隅につるし魔除けにした風習もあった

それは平安時代に始まったことで宮中貴族からの風習が下々に降りて行ったという

今はどうだろう昭和の時代は宮中でも行っていたらしいがーー

ハーブの香り袋、逆輸入で日本に上陸、平安貴族たちは大いに菊の香りを楽しんだ

 

ついでにと言っては失礼だが

皇室が菊のご紋十六葉八重表菊を使い始めたのは御鳥羽上皇の時からとされている

国の最高の勲章も菊花

お酒の銘柄も「菊」の名が付くものが多い、では今宵「菊酒」を賞味しながら我と語り合うもよし

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台風接近

2023年09月08日 09時28分45秒 | 日記

台風13号が今日は関東に接近するといって朝から大騒動

電車が止まるということや何か災害が起きるのではないかと、心配しているし、その心配を掻き立てるような報道でもある

行きはよいよい帰りは恐い

午後から台風が強くなるので帰りの足が心配

先へ先へと心配するのは当たり前かもしれない

 

報道でも「台風」の利点を教えてくれることはまずない

どういう被害になるかばかりが報道される、そうすると自分の行動だけでなく、他人の動きにも歯止めをかけてしまう

最近の台風は一極集中型が多くこれをもって「人工台風」だという人もいる

人工で進路はどうにも変えられるらしいが、科学というのはすごいと思う、自然おも自由にコントロールすることができるのだから

しかし

人工であろうと自然現象であろうと今現実に雨は降っている

日照りで息絶えだえであった街路樹はこの雨で一息

もう少しで水制限が起こりそうだった水瓶も潤った

家庭菜園の人々もこの雨で一安心

海の中も波がもまれて魚たちが生き生きとし始めているだろう。有用菌の働きが活発になる

日照りが収まり空気が変わり涼やかな風を与えてくれるかもしれない

 

台風被害は人間が人工的に無理しているところに起こる気がする

乗り物も被害を未然に防ぐということで運休になる

運休になるとあらゆるものが未配達や集配が滞り日常生活に混乱を起こす

科学の発達で運休などと縁のない交通機関がうまれないのだろうか?空を飛んじゃうとか

 

実は本日「シルク時空をこえて」の試写会を多摩川でする予定

無事できることをチャ子ちゃん先生は信じている

 

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何か変ったね

2023年09月07日 09時11分56秒 | 日記

綺麗な秋の空を眺めていたら、雲の動きが逆行、東から西に動いている

雨も東からやってきた

最近カラヤンの姿が見えない、その仲間たちの姿が一切消えた

スズメもいないくなった

鳩の数も少ない

春の花がこの秋にも咲く

もう枯れ果てていると思っていたバラの木に蕾が付いた

つゆ草が何回も何回も花をつける

最強の命を誇るゼラニュームが一気に枯れる

公園ではアジサイがまだ咲いている

 

自然は何を教えてくれているのだろう

 

世界は一挙に多極化になった

アメリカが強いは消えた

どの国も自分たちの特徴を生かして生き続けることになりつつある

世界が同時進行で変わっていく

 

善悪で物事を解決することに意味がなくなった

あの人が悪くて私が正しいはない

みーーんな正しいし、み――ンな間違っているかも

誰かの命令を鵜呑みにして動く人も少なくなった

マスコミをはじめ、えらいと思っていた人たちが,大層なうそつきだということが見えてきた

それだけではない、明治維新までも何かきな臭い

 

嘘が真実で、真実と思わされていたことが嘘だった ああややこしい

 

空の雲の動きを見ていて

私たちはもう違う地球に住んでいるのかもしれないなあーーと思ってしまった

 

新しい地球へようこその時代が「そこ」に来ているのかも

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古着やさん

2023年09月06日 11時04分57秒 | 日記

久しぶりのラジオ収録

昨日

「きものの古着屋に関してどう思いますか?」

と聞かれた

チャ子ちゃん先生の着物もいい加減古着だもんな、と内心思いながらいろいろ考えてみた

今宵の「チャコちゅうぶ」はこの話をしようと思っている

 

江戸時代は古着商の方が、一般的な呉服商の数より多かった

そのころの女はほとんどの人がお裁縫ができたので、古着の着物を自分の寸法に合わせて仕立て直すのが当たり前だった

ある統計によると、古着屋の数は呉服の店の全体の90%だったという

信長が提案した「楽市、楽座」に持ち込まれるのも古いきものが多かった様子を古文書で知った

 

日本人は家財道具も売ったり買ったり

書籍も売ったり買ったり

人も売ったり買ったり(笑い)

 

自分に必要でなくなったものを売る、そしてそれを必要としている人が買う

こういう売り買いの循環が発達していた

不必要のものは家にはなかったのだ

 

そういう歴史を考えると「古着屋」は必要だと思う

しかしーーだ

江戸時代は自分の売るものは、きちんと洗濯をしきれいにして売っていた

それが売る人の礼儀

古本だってそうだ、きれいに読んで傍線など引かず書き込みもせず、必要な文章は手元の帳面に書き記す

それが読み手の礼儀

家具調度品もそうだ、きちんと手入れをし新品状態にして手放す

「モノを大切に扱う」

という精神が日本人の根底にあった、きっと今もある

それは自分自身を大切に扱うということと同じ、この世の中にあなたはあなたしかいない、予備はない

 

では本日も「チャコちゅうぶ」20時から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍

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毎日違う

2023年09月04日 06時48分31秒 | 日記

もう40年以上前のこと、常に一緒に組んでいた仕事をしていた写真家の息子が

「ボク夏休みに毎日同じ時間同じ場所の雲の写真撮ったんだよ」

と見せてくれた.ボクはその時小学校6年生だった

「見せて」

雲は毎日違う姿だった、ある時その息子と話をしたことがある

「飛行機に乗ってるとね雲が下に見えるのよね、その雲に乗ってみたいなあと思うのね、気持ちいいだろうなあって」

「フーン僕はまだ飛行機に乗ったことないけど雲が下に見えるんだ」

「そうなの信じられないでしょう?雲はいつも見上げているんだものね」

「フ――ン」

と二人で庭に出て雲を眺めていてこの会話が出た、その時彼は小学4年生だったと思う

 

「ほらナカタニさんと雲の話したこと覚えてる?」

「そうだったわね」

「あの後ボクの誕生日に”ノンちゃん雲に乗る”という本くれたでしょう?」

「ああそうだったわね」

「ボクあれからずーーと雲見てんだよ、そいでね小学校最後の夏休みの宿題に雲の写真撮ったの」

「毎日大変だったでしょう?」

「まあね、でも楽しかったよ」

「何感じた?」

「毎日形が違うんだよね、動物の顔だったり、鳥の形だったり、色もね色も変わるんだ、雲は白だけではないね、雨の日も雲はちゃんと動いてるよ、すべてすべて同じではないということ、すぐ流れていくからつかめないよね、形も秒単位で変化するんだ、だからきちんと見なけれないけないんだよ」

「きちんと見る、ということを感じたのね」

「そうだな、うんそうなんだよ」

 

人の毎日も同じ、一日を過ごす24時間は一緒だが毎日違うことが発生する

雲という本体は変わらず形が変わる、人の毎日もしていることは同じだが、思いや考えで同じことが違ってくる

久しぶりに降る雨脚を見ていて、少年の雲の写真が頭を横切った

そう毎日違う時間を過ごしていることが生きているということなのだろう

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ちょっと複雑かも

2023年09月02日 09時54分21秒 | 日記

電車やバスに乗っていて「席」を譲られることがある

「うーーんなんかなあ」

一般的に見て

「あんたは老婆」

ということなんだろうなあ、ま、実際そうなのだが荷物たくさん持っていて席を譲ってくれるのはありがたいしうれしい

そうでなくて小さなバック一つしかもっていないとき、席を譲られると

「そうか老婆なのだ」

と自分自身を納得させる

 

そうかと思うと若い子が空席めがけて素早く座って、スマホをいじくりまわす、しかも優先席であることも知らんぷり

こういう時周りを見渡し、席を必要としている人がいると

「あの方と席変わって差し上げて!」

と依頼する。快く席を譲る子もいるが、多くは知らんぷり(逆に勇気あるなあと感心する)

 

若いとき率先して席を譲っていたが、または重い荷物を持っている人に「お荷物持ちましょう」とも声をかけていた

授業さぼって早退して電車に座って本を読んでいたら、目の前に乳飲み子を抱えた婦人が乗ってきて「どうぞ」と席を立った

暫く車窓から移り行く景色に気を取られていたが、ふと眼下の親子に目を移すと、子供は頭を振り振りお母さんの胸元で何かしている

しっかり目を凝らすと

なんと!きものの脇(身八口」からおっぱいだして子供に乳を飲ませていた!

だけど外からはお母さんのおっぱいは絶対見えない

見てはいけないものを見ているのだけど、目が離れないーーとお母さんと目が合った!お母さんはニッと笑って子供の頭をなぜている

「ああーびっくりした」

という顔で私も笑い返し、二人の間に深い親しみがわいた

 

今でも思い出す、紺地の絣模様の着物を着て、オレンジ色の帯をしていた、胸元ゆったり着付けていたように思う、ひょっとしたら年も当時の私とそんなに違わなかったのかもしれない。きものだからできたことなのだな!きものってすごい

 

ただ単に「老婆だから席を譲ろう」という礼儀正しさが多分落ち着かないのかもしれない

というより自分で老婆ということを認識できていないのかも、苦笑

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私はできる

2023年09月01日 10時18分29秒 | 日記

私には無理です

という言葉をよく聞く

そうすると絶対無理

やってみます

というと必ずやれる

 

自分が経験することの中で、無駄なものは一切ない。そう言い切っていいほど、そうだと確信する87歳

自分の前に現れることにとにかく挑戦してみる。結果はどうでもいい

この挑戦こそがその人の人間力を高める、そしてその人は豊かになっていく

人は豊かで幸せな人生を送りたいと願っている

それには目の前に現れたことから逃げず、挑戦すること(本当は自分がそれを招いている)

 

その挑戦で成功することもあり失敗することもある

失敗は次の挑戦への財産

 

目の前に挑戦が現れるということはその人はその挑戦に打ち勝つことができるということだと思う

「こうゆうことやってみない?」

という話が来たとき絶対にやる必要のないものもある。それがわかるのは挑戦に失敗した人に対してのご褒美

失敗を重ねるうち、成功への道がはっきりと見えてくる

その成功は個人の目指す道

お金持ちになりたい

裕福な暮らしをしたい

欲しいものを何でも買えるようになりたい

有名になりたい

権力を持ちたい

美しくなりたい

目に見えるこういうこともきっと手に入る

(これで満足すると次なる挑戦がひっきりなしに来る)

 

人の子は、目の前に現れたことに挑戦し続けることで

自分自身の魂を磨く

自分の霊性に目覚める

自分の住んでいるこの地球で平和に暮らす

これらが手に入ったとき、(必ず手に入るけれど)最も大きな豊かさが手に入る

・物事は常にあなたにとって必要必然に表れる

・しかもそれはあなたにとって絶妙なタイミング

・その挑戦に対して宇宙はあなたをつぶさない

この三原則の宇宙法則(中野裕弓さんの言葉)は挑戦の受け方をよく表していると思う

 

そう信じて今日も過ごすチャ子ちゃん先生

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