「無から有は生じない」 これは、自然界の根本法則で、例外はない。
ミクロコスモス(エコスフェア ecosphere・生命 地球儀)の実験というのがある。
水と空気、それに砂や小石などを入れたガラス の容器に、小魚と水草とバクテリアを入れて密 封してしまい、外部から完全に遮断する。
外か ら入るのは、ガラスごしに入る光と熱だけいう状 態にするのだ。すると、光と熱のエネルギ-によ って水草は炭酸同化を始めて酸素を発生し、魚 はその水草を食べて生き続け、排泄する。その 排泄物はバクテリアの栄養になり、バクテリアに よって分解されて水草の栄養になる。 それぞれの量的バランスが適正に保たれれば魚は繁殖するが、増 えすぎてエサや酸素が不足すれば、弱い固体が死ぬ。死骸はバク テリアが分解して、小さな世界のバランスを回復する。注意深く管理 するなら、このミクロの生態系、小さな世界ミクロコスモスは、恐ろし いほどきわどい釣り合いの上に立って生命のいとなみを続けて行くこ とができる。密閉された世界、ミクロコスモスを見ていると、生物たち はまるで自分たちの力だけで生きているようだ。しかし、ここで、けっ して無から有が生じているわけではない。生命現象をささえているの は、外から光と熱の形で供給され続けているエネルギ-にほかなら ない。暗闇にしておけば、遠からず水草は枯れ、魚もバクテリアも死 滅する。ミクロコスモスの実験を見た人は、いったい何という危なっか しい世界だろうと思う。まるで、一筋の細い糸で絶壁の上から吊るさ れているような生活ではないか。だが、よく考えると、われわれの住 んでいるこの地球上の世界も、基本原理はまったく同じで、大変危な っかしいことに変わりはない。ただ、机の上に置くことのできるガラス 容器よりもサイズが大きくて、生きている生物の種類が多いため、危 なっかしさが見えにくいだけなのだ。といっても、細い糸がいくらか太 いロ-プに代わっただけであって、本質的には同じことをしているの である。“大江戸えねるぎ-事情=吉川英輔著より抜粋”
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