九里 【九里】を探して三千里

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野本氏の祖は藤原利仁 野本時員は斉藤時頼と共に瀧口であったそうだ。

2020-11-16 | 下河辺氏

野本・利仁神社 その周辺




中臣(藤原)鎌足 - 不比等 - 房前(藤原北家の始祖)- 魚名 - 鷲取 - 藤嗣 - 高房 - 時長 - 利仁 - (斎藤)叙用 - 吉信 - 伊博 - 為延 - 為頼 - (竹田)頼基 - (片田)基親 - (野本斎藤左衛門)基員 ‐ 時員・時基 ‐ 時秀・時名 ‐ 行時






wikipediaによると、

基員は御家人として源頼朝の信頼を受け、武蔵国比企郡野本(現在の埼玉県東松山市下野本)の地に居住し野本左衛門尉を称した。

基員は、源義経の義兄弟である下河辺政義の子の時員を養子とした。時員は『吾妻鏡』によると六波羅探題在職中の北条時盛の内挙により能登守に就任したり、摂津国の守護(1224年 - 1230年)にも就任している。時員の弟である時基は、野本の隣の押垂に住して押垂を名乗り押垂氏の祖となった。

野本氏は13世紀後半には武蔵国に関する記録からは忽然と消えてしまう。しかし五味文彦は、『吾妻鏡』における基員の子の元服記事(建久4年(1193年))に着目し、時の権力者北条氏以外の御家人で元服記事が『吾妻鏡』に採用されているのは、『吾妻鏡』の編纂(へんさん)された時期に、野本氏が鎌倉幕府の中枢にいた『吾妻鏡』の編纂者と特別な関係にあったことと推定している。

このことを裏付ける事実として、『吾妻鏡』の原本や後の写本(北条本)が存在した金沢文庫(現在の神奈川県横浜市金沢区)から、北に3キロメートルほど離れた神奈川県横浜市金沢区富岡には野本氏所有の土地が今も多数残っており、古くからこの地域の大地主であった。野本氏の菩提寺である持明院には、持明院開祖の墓地の近くに野本氏の先祖代々の墓石が多数存在し、中には非常に古い年号の墓石が残っており、この地域に古くから野本氏がいたことは間違いない。また、富岡にある波除八幡と呼ばれる富岡八幡宮 (横浜市)(東京都江東区富岡にある富岡八幡宮(深川八幡)の元になった神社)などには、「応長元年(1311年)5月18日、突如大津波に襲われて長浜千軒は一夜にして海中へ呑込まれ、助かった者が長浜から富岡や氷取沢などに住み着いた。」という伝承が残っており、長浜は金沢文庫と富岡の中間に位置し、応長元年の大津波があった年代からも『吾妻鏡』編纂時期(1300年ごろ)に野本氏が金沢文庫の近くで生活していた可能性が高く、そうであれば五味文彦が推定した『吾妻鏡』の編纂者との関わりがあったことと矛盾しない。

ーーー☆ーーー
…とある。

斎藤氏の中に野本氏がいた事がわかる。
基員に子がいなかったので、一人は笠原親景の子を、一人は下河辺政義の子を養子とした。
時員は斎藤時頼とともに安徳帝即位時に中宮徳子を給所として貢進された瀧口である

という事は、平氏の配下にいたのであろう。

その中宮徳子こそは、建礼門院(けんれいもんいん)であり、安徳天皇の母(国母)であった。
徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔った。
(父は平清盛、母は平時子。)母の時子は二位尼(にいのあま)である。

因幡国の冨城郷のあった場所の近くに安徳天皇陵ともいわれている場所がある。
そこが岡益の碑でもあるわけなのだが、まさにそこを守るかのように冨城氏はそこに住んでいたのである。
なぜか地図では冨来郷となっている。 冨城ではなく冨来。




不思議な事と思う。
中原太郎左衛門尉経久、安徳天皇の近くにいたのであろうか?
まだ10歳くらいの時のことになるので、活躍していたのはその父、中原橘次経任の時代と思う。

二位尼は平時信の娘であった。時信とは「平大納言時忠卿従兄弟下野守師季之孫永田太郎時信」の時信ではないのだろうか?






横道にそれるが、其の斎藤時頼には哀しい物語がある。「成人した後に父と同じく重盛に仕えた。」 とある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%99%82%E9%A0%BC



追記 
下河辺政義「平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将・御家人。名は政能とも。後に益田氏を称す。」


野本時員
父:下河辺政義
母:河越重頼の娘
養父:野本基員(1140-1232)
室:不詳
男子:野本時秀
男子:野本行時
男子:野本時成
男子:野本貞頼
兄弟に押垂時基

込み入ってくるが、野本時員の母が河越重頼の娘であることにより、(娘の母親である河越尼は比企尼の次女)比企氏とも関係ができる。
特に義経の正室(郷御前)とは兄妹の関係と成るのではないだろうか?訂正、次の記事に有。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B6%8A%E5%B0%BC


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