多賀大社と「栗」の関係をさがしてみた。
多賀大社 HPより
http://www.tagataisya.or.jp/about/
こちらには「粟」(あわ)となっているのだが、「栗」なのではないだろうか?
玄松子の記憶さんのページにはちゃんと「栗」になっている!
http://www.genbu.net/data/oumi/taga_title.htm
社伝では、鎮座の仔細を以下のように伝えている。
伊邪那岐大神が、多賀宮に鎮まり坐そうとして
杉坂の急坂にさしかかった時、土地の老人が、
栗の飯を柏葉に包んでさし上げた。
大神は、その志を愛でて、食後に箸を地に挿した。
後に、この箸が大杉となって杉坂となった。
また、山路の途中に疲れて「くるしい」と
言った場所が、栗栖という地。
そこには現在、御旅所の調宮がある。
https://japan-geographic.tv/shiga/taga-taisha.html
ここにも栗栖(くるす)の「調宮(ととのみや)神社」に向かう…とある。
同じ中原姓であり、同じ近江国御家人井口中原系図の中にいる「多賀氏」と「九里氏」である。
栗東が滋賀県で栗探しをした中でも多賀の気になる地ですよ。むかしの地名てなんだったけなあ。何か多賀の地名の変性はヒントになったように思いますよ。たぬきとかえるいっぱいサービスエリアでも買ったなあ。
九里さん神職の器がありそうですね、納得ですし鹿島さんはいい感じの繋がりですよ。
あとそう柏の葉っていうのも古のきちんとした流れを持ってそうですよ。
昔いっぱい提灯が出ていたお祭りの時にたまたま行った際では子供のおみくじで確かオシホミミという神様のエピソードが書かれていました。
そこからの縁が太郎坊さんにも縁が出てますね。
天狗さんと団扇の縁でしょうか?
栗と九里と重陽間違いなく関係してくると思いますよ。鹿島さん天児屋命さんかな?ありがとうございます。1162
栗太郡でしょうか?
そこにある「印岐志呂神社」が「片岡」にあります。
今はリットーと読むようですが、昔は「クリタ」だったのですね。
しかも七里・十里があります。(村)
キャラクターも「クリちゃん」(笑)
気が付いてよかった、この神社!ありがとうございました。
栗太郡確かに昔もハマってましたよ。けど多賀の辺りではなかったですね。
多賀ので気になったのは犬上と甲良みたいです、私の関係のキーワードです。金属と火が関わりそうです。で矛の神社には樹下さんもありますし、お多賀さんにはしゃもじもありますね。木の信仰がありそうです。お薬師さまかな?栗ですから可能性高いように思いますよ、九里との縁も。
多賀のおじゃもじの由来の中に元正の時代というのお話もあります。強飯をおじゃもじを付けてとのお話。栗のご飯じゃなかったかな?と思い出しましたよ。また元正天皇はどうも木の信仰持っていそうなので関わる可能性もありますね。
一番面白かったのが、多賀大社と同じエリアの説明に河内風穴という洞窟があるみたいなんです。河内って滋賀なのに?
追っている一族は洞窟結構得意なんですよね。東北の多賀城と接点も出てきそうですよ。七の地もありますので。
すっかり犬上御田鍬とかも忘れてましたけど犬飼犬養関係もすっかり忘れてましたけど多賀で思い出させて頂きましたよ。かなり進みそうです。
滋賀県と大阪って神なのか一族なのかとっても似ていそうに思いますよ。そこに九里さんも関わるのは確かですね。奈良の北辺りも繋がりますよ、きっと。
色々繋がってきてとても楽しいです。
私は明らかに偶数と縁がありそうなのですが、九里さんは奇数でしょう、3/3、5/5、7/7、9/9この日の風習とグローバルに縁がありそうに思いますよ。その中に植物や木の知識ももちろん関わるでしょうね。薬師如来いる場所の関わる可能性のある地域としての目印になると思いますよ。5950
江戸時代の地図ですが、近江八幡周辺の湖よりの方に多賀村がありまして、そこも多賀氏がいたのだろう…と思って眺めていました。
そういえば、九里の本草学の先生がいらっしゃいましたし、置賜の九里氏で、上杉鷹山公によばれて漢方の草を集めて売ることを提案した人がいます。
薬師如来さまからのヒントだったのかもしれません。