日頂(wikipedia)
日頂(にっちょう、建長4年(1252年)- 文保元年3月8日(1317年4月19日))は、鎌倉時代後期の日蓮宗の僧。俗姓は南条氏。駿河国の出身。伊予阿闍梨と称される。日蓮六老僧の一人。
日蓮の有力な檀越である下総国八幡荘若宮(現在の千葉県市川市若宮)の富木常忍(日常)の養子となり、幼くして日蓮に師事した。日蓮の佐渡配流の際にも日蓮に従って奉仕している。身延山では本圀院山本坊を創り日蓮の墓所の輪番に参加している。下総国真間(現在の千葉県市川市真間)の弘法寺を拠点として布教につとめた。1293年(永仁元年)養父常忍と対立し、晩年は故郷駿河国の日興のもとに赴き、重須本門寺の学頭となった。本門寺の近くの正林寺に墓所がある。
日興(wikipedia )
日興は1246年(寛元4年)3月8日、甲斐国巨摩郡大井荘鰍沢(現在の山梨県南巨摩郡富士川町)で誕生した。俗姓は紀氏。父は武士の大井橘六、母は富士上方河合(現在の静岡県富士宮市)の由井家の娘であった(日亨『富士日興上人詳伝』6頁[4])。幼少期に父が亡くなり、母が武蔵国の綱島九郎太郎に再嫁したので、日興は母の父である河合入道蓮光に養われることとなった。
主な信徒
- 南条時光(1259年-1332年)駿河国(現在の静岡県)上野郷の地頭。上条大石寺・下条妙蓮寺開基檀那。
- 高橋六郎兵衛(?-1275年)駿河国富士郡賀島在住。夫人は日興の叔母。
- 河合四郎光家(生没年不詳)駿河国富士郡西山在住。日興の叔父。
- 新田四郎信綱(生没年不詳)伊豆国(現在の静岡県)仁田郡畠郷在住。夫人は南条時光の姉。日目の兄。
- 石川新兵衛能助(?-1287年)駿河国富士郡重須の地頭。夫人は南条時光の姉。北山本門寺開基檀那・石川孫三郎能忠の父。
- 秋山与一信綱(生没年不詳)甲斐国(現在の山梨県)中巨摩郡中野村の地頭。
- 秋山孫次郎泰忠(?-1378年)秋山信綱の孫。讃岐本門寺開基檀那。
日澄(1262年-1310年)重須初代学頭。 富士門流 北山本門寺談所
日頂は富木常忍の養子であり、
日澄は実息となる。
出てくる名字もかなり気になる物ばかりで面白いなあと。
神の流れはカモ系の気配もありますね。
エリアが下総、駿河、伊豆の仁田郡、甲斐で巨摩郡というと旧石器からでサヌカイトの民族も居そうでなおかつ古い縄文にもなので骨格しっかり肉体派と知恵も合わせ持てそうですよね。日蓮さんの周りでは日が付く方がいっぱい出てくるので良く出てきてると思ってもすぐ忘れてしまうんですが、この方は覚えておかねばと思いました。私は土地同士の関わりを時代としては鎌倉よりももっと前で探究しますね、接点を武田〜徳川の周りも参考にしてどんどん遡りたくなりましたよ。
いつもコメントありがとうございます!
なかなか的を射た返事もできずにすみません。
日頂も気になりますが、日興の父が橘六…つまり橘姓大井氏であることも気にかかっております。