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再び、平安後期・鎌倉初期の源重定(貞)を調べてみる。

2016-05-20 | 源重定(貞)とその周り


http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/8d6f0d88f0bcf4624805f6b46732d862

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%87%8D%E8%B2%9E

筑後国守であった山田先生源重貞。1180年に没した情報もあるが、まだまだ長生きした情報もある。

そして、
正四位下鎮守府将軍源義家の婿で信濃国守であった浦野四郎源重遠に【小笠原氏】とのつながりが感じられる。


また、歴史学者であられる【佐々木哲先生】のメルマガ  http://blog.sasakitoru.com/201603/article_1.html

5月15日配信分【三井氏の系譜(3)~三井氏と目賀田氏の系譜】のなかに、まさかの【源重定】が登場している。


文面を少しご紹介すると、

『沙沙貴神社所蔵佐々木系図によれば、行実の長子浅小井盛実の子孫から浅小井・井・平井・堀・一井・山上・真野・井上・奥島・山田・馬場の諸氏が出ており、水運に関係していたことがわかり、とくに一井・真野は和珥氏族を継承したものだろう。

また三郎大夫行実の末弟五郎大夫行範も真野氏を名乗り、その孫に新村井重定(小太郎)がいる。

…省略…比牟礼八幡宮神主に補任された源重定と同一人物であろう。』



…と、突然、日牟礼庄代官である源重定が真野の一族の新村氏の新村井重定である可能性がある、ということになったのです。



~~~*~~~


あまりの事で、動揺… えっ、本当に『真野』登場しちゃった…



しかし、この平安時代後期から鎌倉時代前期、何人もの『源重定(貞)』が存在すると思うので、確認してみようと思うのです。

①山田先生と言われた『源重定(貞)』
②新村井重定
③藤白鈴木重定(新宮の住していた)

東京大学史料編纂所のなかの重定・・・少納言重定にはじまり、たくさん同姓同名がおり、今の私には無理!と判断しました。

①と③の重定、近い関係の中で、同じ人なんじゃないか~~?とも思うのですが、もう少し調べてからにしようと思います。


どなたか、ご存知でしたら教えてください!







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