九里 【九里】を探して三千里

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千葉 伊賀 富木 加地 の ライン

2018-10-24 | 加地・加治氏



伊賀国守護
1184年~1186年 - 大内惟義
?~1204年 - 山内首藤経俊
1204年~1205年 - 平賀朝雅
1247年~1275年 - 千葉頼胤
1275年~1312年 - 千葉胤宗(宗胤の弟)
1312年~1333年 - 千葉貞胤

大隅国守護
1283年~1291年 - 千葉宗胤

蛇足だが、備前守護
1221年~? - 佐々木信実
1264年~? - 長井泰重
1331年~1333年 - 佐々木(加地)氏

津高郡:伊賀氏 - 虎倉城。

千葉氏の被官だった富木常忍(ここでは胤継となっている)と伊賀国が千葉氏が守護であったことで繋がる。
そして富木氏と加地実秀は繋がっている。(私の予測では富木の娘聟が加地実秀と思う。)

富木氏は
伊賀・土岐氏のようでもあるのだが…
どこに糸口があるのだろう。

伊賀朝光・兼光…
その他に、深尾・浅小井氏との関係も…

今までの書いてきた「伊賀」に関することを集合させてみると…

浅小井家長の母は加地信実の娘で、その家長の孫が「北條師方」となり、「北條左近太夫 北條師時成猶子 娶大佛宣時女」とあるのだ。
そしてこの大佛宣時の周辺を調べると、またまた二階堂氏・伊賀氏・結城氏が出てくるのである。

二階堂系図に「二階堂行章(文永十一年卒)―行員(妹は中条出羽守頼平妻)―女子(中条伊賀守長宗妻)」と見ゆ。

山内氏の中に伊賀氏がいて、深尾氏の祖にも伊賀氏がいて…太田氏の中にも伊賀氏がいる。。。安藤にも通じている。二階堂行政の娘が伊賀光季の母となる。山内首藤氏秀郷流

宇都宮頼綱(宇都宮業綱子)
妻 伊賀朝光娘

(伊賀朝光の子ども↓
光季、光宗、光資、伊賀の方、結城朝光室)

岐阜城は古くは井の口城と呼ばれ、鎌倉時代の初め、山麓から眺める金華山建仁元年(1201)二階堂行政が築城したのが始まりである。
その後、鎌倉幕府の執事佐藤朝光が入城。続いて伊賀光宗の居城となったが、その後を継いだ光資は稲葉光資と名乗り、城の名も稲葉山城と改称した。



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