https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%9B%BD%E9%80%A0
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E5%BA%83%E6%96%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9F%E6%96%B9
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さて、殿来連を探している時、大鳥郡の【和田氏】(ニギタ・ミギタ・ミキタ)と関係があるかどうかが不明の「橘につながる和田氏」が出てきた。
この熊野国造が気になり始めた。(以下 wikipediaの部分より)
「和田氏系図」によると、醍醐天皇の代に牟婁郡大領(従五位下右衛門尉)熊野広方(橘広方)が橘姓に改姓(橘良殖の猶子となったか)、広方の娘は鈴木良氏に嫁いで鈴木重氏の生母となった。広方の 3代後の橘良冬(和田良冬)が和田庄司を称した。
つまり、鈴木重氏の母は熊野氏の出という事になる。(鈴木良氏の妻)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%89%AF%E6%B0%8F
此処で熊野=橘=鈴木氏となる。
この鈴木氏と藤原定時・実方・源雅信の娘が繋がってくる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E6%99%82
藤原定時の妻:源雅信の娘
男子:実方
女子:鈴木重実室
つまり、重氏の長男の重豊(左近将監)の娘は、藤原実方に嫁いで熊野別当・泰救を生んだ。
さらに、重豊の弟重実に実方の姉妹が嫁いだ‥‥という事になる。
重豊・重実の父が重氏であり、母が橘広方(熊野氏)である。
鈴木重豊と藤原定時の娘、二人の息が鈴木重武で中原成道に追随して上総にやって来ている。
長元元年(1028年)の6月に前上総介・平忠常が謀反を起こした際、追討のため中原成道に随行して東国に下向した。永承7年(1052年)9月15日に81歳で没した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E9%87%8D%E6%AD%A6
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wikipediaの寄せ集めだが、つなげてみると大事な部分と思われる。
熊野から橘氏へ、そして鈴木氏と藤原氏‥‥
で東京でも熊野前って言うのに熊野が無いって探したりした事もありましたけど。そんなんで昔、和歌山との縁がありそうな神社を見つけたなあとも。東京は源氏絡みなのか豊島氏太田氏絡みなのか?辿って辿ってどこに行き着くのか?楽しみです。
で個人的に分けて考えている事は皇子と王子でして追っているのは王子の方です。なので東京では王子、奈良では王寺、大阪でも熊野関係で王子はとても気にしている所です。で今タイムリーなのが渋沢さんのドラマで先週狐が出てきたり、違う番組で飛鳥山の特集があったりと東京でも各地の関わりのある一族が出てくると面白いなあと思います。渋沢さんが関わっていた神社が七社神社のようなんですけどイシコリドメさんが居るんで大昔から行っていたのに渋沢さんの事は気付かずでした。小さなしおりとか頂いたりいつも夕陽か真っ暗になる事が多いのですが素敵な方に出会える場所です。なので東京の鏡関係のところと鈴木氏の関わりも面白くなりそうに思います。
お水の関係も地形的にも産業なども含めて興味深いエリアが東京にもある事お伝えしますね。時代は武士絡みでない時期まで遡りたいですね。何もなかったのも確認するまでは探そうと思います。
八王子、小野氏などはどうなのか?と、気になっていました。
ヒマツリ西党も、同じく気にかかっていて‥‥
熊野・橘・鈴木は繋がったのですが、その後関東では?を探っております!
関東では今の中心部の平野部よりも山の方が安全だし長く人が居たと思えば八王子あたりから高尾の方が中心だった時代も長かったでしょうね、地形や自然の恵み等でも住みやすい所に動くでしょうから。
八王子というと神ではスサノオとアマテラスさんの子供たちもうっかりイメージしますけど。
そうそう昨日閻魔の16日だったんですけど十王信仰がありそうな所は近江とかもでも目印として気になっていますね。鎌倉以前はどうだったか?閻魔でいうと小野篁さんですし、関東にも小野神社古来からあったみたいですよね。ちょうど小野照崎さん行ってきましたけど庚申塔も残っている所も関連が出てきそうかとは。
関東なら八王子の山の方はすっかり行けなくなっていますが良く行ってただけに盲点で今後行けるようになったら見えてくるかな?その時はお知らせします。
で葛西三郎さんのお墓がありそうでびっくり。宝木塚という地名でも気になりましたよ。松があったなら古墳っぽくも。義時さんのネットワークの中にもあり興味深いです。
父は堀切菖蒲園行ったとか言ってましたね、あと私も昔タカラトミーの行ったなあとも。天文の施設もあるので星よみとか古代やっていたらとワクワクする地域です。
八王子の熊野も調べましたが小比企って地名がある近くの熊野さんありました。地名も好きな字の並び。こちらは北条さんが関わりそうな感じでした。
東京で言うと八王子から葛飾までは時代によっては同じ民族が絡んでいそうでその地の野菜や植生や産物で生きてきた歴史も見えてくるといいです、今後も役立ちそうに思います。そうこの間にはあまり水神ってのが見えにくくなっていますが、各所の間にもあります。葛飾方面はそれが多いんで川とのお付き合いいっぱいあったならば、水神さん絡みの民族がいた可能性は十分あるかと思いますね。吉宗も紀州だけにヒントになりそうですよ。まあ東京のお話ですけどね、徳川も各時代ごとに知識ブレーンも違うのですが目安にはなりそうですよ。
東京も中世どうだったか?円仁さん、弘法さん、親鸞さんと関わるお話などもあるので近畿なり歴史の表舞台との関わりももっと研究成果がみえてくるといいですよね。私は古墳時代と6世紀探したいんで川沿いで東京の注目してみようと思います。