以前書いた自分の記事だが…
藤原実遠の後室として入ったのが真野宗連の先妻でもあった「妙勝」。
妙勝とつながりのある「実遠」は 西園寺実遠です。 すみません。
[ 永享6(1434)年 ~ 明応4年11月25日(ユリウス暦:1495年12月11日) ]
その妙勝の所領は、巡り巡って真野宗明が譲り受けることとなる。(ここは合っている)
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私が探しているのは、基清の祖父にあたる「実遠」である。(血は繋がっていない可能性が高いが)
web情報では
佐藤公広(佐藤公郷の四男。後藤則明の養子)ー実信(白河院武者所)─実遠(左衛門尉)─実基(兵衛門尉)-基清(播磨守護)
千葉氏のHPによると「安達氏」のページに
「大治5(1131)年12月2日、「女院熊野詣御門出」に際して列した鳥羽院武者所に属する「侍」として「兼仲、為雅、頼倫、国政、実信、遠兼」が見え(『中右記』大治五年十二月二日条)、「国政」は摂津源氏頼綱の子・源国政、「実信」は秀郷流藤原氏の後藤実信、そして「遠兼」は足立遠兼の可能性があるか。」
とある。
この実信の息となる「実遠」はずである。