https://www.city.sukumo.kochi.jp/sisi/026001.html
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/inaba/inabait1.htm
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/seinou1.htm
藤原秀郷流の佐藤伊賀守朝光こそが、岐阜城に住していたことがわかった。
(饗庭氏を調べていたので饗庭に黄色マーカーがでてくるが、本の中の検索ワードに伊賀を入れるとたくさん出てくる。)
伊賀光季の父、伊賀守朝光と美濃国は関係があったのだ。しかも秀郷流の佐藤氏であった。
美濃国諸旧記・濃陽諸士伝記: 全
https://books.google.co.jp/books?id=eOIyTweyCz8C&pg=PP34&dq=%E9%A5%97%E5%BA%AD%E5%82%99%E4%B8%AD%E5%AE%88&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiuw4rPqqnuAhWLGKYKHS6PB7QQ6AEwAXoECAUQAg#v=onepage&q=%E9%A5%97%E5%BA%AD%E5%82%99%E4%B8%AD%E5%AE%88&f=false
稲葉氏が始まる「光資」は中原光家之養子となったと、ある。
確かに、中原氏は越前でも「稲葉氏」を名乗っていた。
さて、美濃国諸旧記・濃陽諸士伝記: 全の関係の部分をここに留めておこうと思う。
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82.83頁は上記の系図となる。